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2004/04/02

<随筆>◇韓国百貨店の今昔◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 ソウルの中心街にあったミドパ百貨店がなくなりロッテ百貨店のヤング向け店舗として新しくオープンした。旧ミドパ百貨店の建物は日本統治時代には丁字屋(ちょうじや)百貨店だった。当時、このあたりは日本人街の「本町通り」の入り口としてにぎわった。すぐ近くにある新世界百貨店も当時は三越百貨店だった。いずれも昔の建物をそのまま今まで使ってきた。

 ロッテ百貨店は1970年代末、銀行だったところに新しく建てられ、その隣のロッテホテルと合わせて〝ロッテタウン〟になった。旧ミドパ百貨店がロッテ・グループになったため〝ロッテタウン〟はさらに広がったことになる。

 ロッテ百貨店は韓国の百貨店の歴史に革命的な変化をもたらした。ぼくは当時、そのことを「文化革命」と書いたことがあるが、韓国の百貨店で従業員がお客に笑顔を見せたり頭を下げるようになったのもロッテが最初だった。

 また百貨店に食堂街やイベント会場を設けたのもロッテが初めてだ。ワゴンセールスなどもロッテが最初に始めた。とにかく百貨店に遊びの空間を初めて取り入れたのだ。そういえば韓国の百貨店で店内の照明が明るくなったのもロッテ以降である。

 ロッテは元は在日韓国人の資本である。ロッテ百貨店は日本の百貨店をモデルに韓国の百貨店を楽しく明るいものに変えた。これは革命的だった。そこでぼくは当時、ロッテ百貨店に「日韓文化交流賞」をあげたいと思ったほどだ。

 日本統治時代のソウルは日本人街の「本町通り」に対し、韓国人中心の繁華街は「鍾路」だった。こちらの方には韓国資本の草分けで「和信百貨店」があり、店は1980年代まであった。ぼくが70年代にソウルに来たころは「和信前(ファシンアップ)」というバス停留所があり、その語感にはまだどこか華やかな感じが残っていた。

 和信はロッテに追いつかずつぶれてしまったが、どういうわけか鍾路にはいまなお百貨店はない。その後、現代百貨店や三星プラザなど各地に多くの百貨店が生まれ、韓国人の消費生活を豊かにしている。これらの後発の百貨店にもロッテが与えた影響は大きい。

 ところで最近、知人の林廣茂・同志社大学教授(マーケティング論)が『幻の三中井百貨店-朝鮮を席巻した近江商人・百貨店王の興亡』(晩聲社刊)という本を書いた。日本統治時代に三越を上回る百貨店網を築いた「三中井百貨店」の歴史を描いたものだ。「三中井」の本店は現在の明洞にあったが、その建物は今はない。

 この本を読むと、いわゆる日帝時代の韓国社会が必ずしも教科書的イメージだけではなかったことが分かる。なぜなら三中井、三越、丁字屋、和信、その他、当時の百貨店は日本人だけを相手にしたものではなかったからだ。韓国人の購買力があったこそ店は成り立ったのだ。「あの時代」の様子について目からウロコが落ちる思いがする本だ。


  くろだ・かつひろ  1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。