昨年11月26日、茨城県鹿嶋市と済州道西帰浦市の姉妹都市調印式が西帰浦市で行われた。鹿嶋からの参加は45名、市長初め市議会議長、市議、商工会など市の実力者(?)そして公募に応じた一般市民から構成されている。
出発当日の午後が調印式であった。そんな離れ業が可能なのは1年前に開通した成田・済州空港間の直行便ルート、2時間半のフライトで行き来ができることだ。以前なら一度ソウルに行き、国内便に乗り換えて済州に入るから、その日の内の調印式は到底無理だったろう。
調印式の行われた市庁舎では玄関から会場に到る通路、階段は市の職員の振る小旗で埋め尽くされている。フラッシュの飛び交う中、両市の姉妹都市調印式は無事終了した。人口6万3千の鹿嶋、8万5千の西帰浦、小さな街同士の姉妹関係は2002ワールドカップの延長線上に成立したのだ。
そんな小さな両市が今後どう協力し合っていくか、姉妹都市成立後すぐに直面する問題だ。鹿嶋は過去30年日本有数の臨海工業地帯として発展してきた。この10年はJリーグの創設と共に歩み、有力チーム鹿島アントラーズのホームタウンとして存在感を発揮、ついに夢のワールドカップ開催に漕ぎ着けている。一方、西帰浦も単なる気候温暖の地から脱却、独特のみかん栽培を発展させ、観光リゾート地としての地位を確立、そしてこちらも夢のワールドカップ開催に到達した。
このワールドカップという昇り詰めた世界的行事を終えたいま、次なる魅力ある目標を作るのは決して易しいことではない。両市が抱える共通の悩みなのだ。だからこそ姉妹都市になって互いに励まし合い、協力して行こうとしているのだ。両市が高々と揚げているスポーツを中心としたまちづくり、国際化を標榜して行こうとしているのはワールドカップ成功の名残であり、宿命なのだ。
翌日の市内観光を兼ねた見学会は予想だにしない衝撃を我々に与えることになった。数ある滝やお寺、美しいワールドカップ競技場、素晴らしく立派なホテル群、収穫真っ只中のみかん畑、青い海と溶岩が固まってできた美しい海岸線、どれをとっても一級品であった。だが、本当に衝撃を与えたのはそのどれでもなかった。それは中文リゾート地のホテル群を望む台地に建てられたリゾート型コンベンションセンターである。収容能力4500人の大会議場を備えており、しかも向こう3年間国際会議の予約でいっぱいというのだ。西帰浦は既に目標の国際化に大きく一歩を踏み出し、しかも実現化していたのだ。
鹿嶋市長が前日のレセプションの場で触れた、両市の中学生を中心にしたサッカーの交流試合やITを使った情報交換会に力を入れていこう、ということがいまの鹿嶋にできる国際化活動の筈だった。この最新鋭のコンベンションセンターと中学生同士の交流会を今後どう組み合わせていけばよいのだろうか。帰りの飛行機の中でそれだけを考え続けた。
たけむら・かずひこ 1938年東京生まれ。94年3月からソウル駐在、コーロン油化副社長など を歴任。98年4月帰国。日本石油洗剤取締役、タイタン石油化学(マレーシア)技術顧問を歴任。