長期駐在にもかかわらず韓国語の発音には苦労しているが、苦手中の苦手が当社が入っている武橋ビルに面した「清渓川(チョンゲチョン)」。タクシーで「チョンゲチョン」と言って一発で通じたためしがない。二つの「チョン」が日本人には弱い激音である上、チョンの母音は日本語にはなく、さらにイウン(gで終わる)とニウン(nで終わる)の違いもあってまさに三重苦。最近はあきらめて、近くにある「東亜日報の向い」で通している。
この清渓川復元工事が10月1日の完工を前に秒読みに入っている。今やソウル市民だけでなく海外からも注目されている清渓川について、はからずも川沿いの住民となった市民の一人として、あわててその歴史を調べてみた。
元々は「開川(ゲチョン)」と呼ばれ、ソウル中心部を西から東に走り漢江に繋がる約11キロの都市河川だが、昔は主に自然の下水道として活用されていたが、雨季になると汚染した川が氾濫し、伝染病が発生するなど問題が多く、結局、60年から70年代にかけてコンクリートで蓋をした後、70年代始めには増加する交通量に対応するため高架道路を作って現在に至るのである。
復元工事はこの逆で、高架道路を取っ払い、蓋を除去して川の再現を図るものだが、李ソウル市長が公約の一つとして精力的に進めてきた。見方によればただ元に戻すのだから壮大な無駄使いのような気もするが、ソウル市によれば「清渓川の復元はソウル600年の歴史の回復であり、環境にやさしい都市空間として生まれ変わり、ソウル市民に将来の夢と希望を与える」画期的な事業と位置づけている。
この大工事は当社が今のビルに引っ越してきた03年の7月に始まったが、以来、交通渋滞、騒音、粉塵、悪臭に悩まされ続けてきただけに、完成を前にして傍観者ながら感慨もひとしおである。
事務所の真ん前が川の起点で、夜間には発光ダイオードによる光と水が幻想的な美を作り出す。11階の事務所からの眺めは最高。当社の近くのビルでは景観を当て込んで外食レストランがオープンしたが、すでに昼食時は超満員で、我が社も展望レストランに改装してはという声もチラホラ。清渓川の復元で地盤沈下に悩んでいた川沿いの商店街や東大門市場が活気ずいている。伝統的な市場の復活は嬉しい話だ。
ソウル市長は他にも市庁前広場、南大門(崇礼門)広場など次々と市民の憩いの場を作っており、ニュータウン計画も目白押しで街創りの手腕は並みではない。ところで1日12万トンもの水は一体どこから来るのだろうか? 昔は近くの仁王山や北岳が水源だったらしいが 。
実はほとんどの水が、漢江の取水場から川底に埋設されたパイプを通じてポンプで汲み上げられる。そして支流の中浪川を経て漢江に戻る。リサイクルである。その内に漢江の魚が上流まで遊びに来るかもしれない。その時は仕事の手を休めて事務所から釣り糸を垂れることにしよう。
おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。昨年4月、韓国双日に社名変更。