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2005/04/29

<随筆>◇明太(メンテ)の話し◇ 崔 碩義 氏

 私の住んでいる近所に食堂がないので、どうしても面倒な自炊をしなければならない。このためには、ときどきスーパーに行って食品を買い込み、家の冷蔵庫に放り込んで置く必要がある。後日それを適当に取り出して食べるのである。こういう独り身の生活がわびしくないといえば嘘になるだろう。正直言って、据え膳で食べられる世の中の旦那族が大いに羨ましい。

 ちなみに、昨日私が口の中に入れた食事のメニューを紹介しよう。

 朝食………パンひと切れ、紅茶、トマト、オレンジ、バナナ、セロリなどを少々。昼飯………即席カレーうどんにキュウリ半切れ。夕食………米飯、モヤシスープ、キムチ、太刀魚の塩焼きと、明太(メンテ)を手早く調味料でムンチしたものを加えた。

 毎日大体、こんなものを食べて生きているというわけだ。ところで、夕食の副食に付いた太刀魚の塩焼きは美味かったが、もう一品の明太(メンテ)の方は、必ずしもご馳走の部類には入らない。だが、この明太は私にとって思い出の多い懐かしい食べ物の一つだ。

 昔から乾燥明太は、朝鮮人が貴重としてきた保存食品の一つで、戦前の在日同胞たちにとっても欠かせないタンパク源であった。同胞は、こんな明太のようなものを食べて苦難の日々に耐え、逞しく生きて来たのである。

 私が記憶するだけでも明太の料理法はかぎりなく多い。もっとも簡単なのは、かちかちに乾燥した明太を棒で叩いて柔らかくして、それを手で細かくちぎり、さっと水で戻し、調味料を加えて揉めばそれで出来上がりである。煮て食べても汁物にしても炒めてもよいし、他に野菜と一緒にチゲ鍋にしてぐつぐつ煮る方法だってある。もちろん、酒のさかなにも可。

 今でも頭をよぎるのは、私の母はそれをぶつ切りにして、唐辛子味噌をたっぷりと塗って、手早く甑(こしき)で蒸す料理を得意とした。それが喉から手が出るほどの抜群の味であったのはもちろんだ。
 明太とは大衆魚に属し、スケトウダラとも呼ばれる。日本では主にちくわや蒲鉾の材料になるらしいが、その卵があのタラコで、博多名物の「辛し明太子」が有名だ。

 また、韓国ではもっぱら北魚(プゴ)と呼ばれているが、残念ながら私はその歴史や魚食の伝統について知らないので、これ以上語る資格はない。

 余談になるが、最近、在日朝鮮人運動史研究会で「3人の在日女性1世の聞き取り調査」という研究報告が樋口雄二さんによって行われたが、これが食べ物の話と密接に関係があるので触れて置きたい。

 樋口雄二氏は、この中で解放前後の在日女性たちが、どぶろくや飴を作って一家の生活を支えて来たことや、とくに3人の女性たちの実際の食生活を解明することによって、在日朝鮮人の歴史に迫ろうと試みる。私はこうした研究の重要性に感銘を受けたのである。


チェ・ソギ 在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『在日の原風景-歴史・文化・人』(明石書店刊)などがある。