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2005/03/11

<随筆>◇サムルノリ◇ 武村 一光 氏

 私が駐在した最初の3年、勤務先は江南の三成であった。貿易センターの巨大なビルやインターコンチネンタルホテルがテヘラン路の向こうに建っている、ソウルの新興地区である。地下鉄2号線に乗れば蚕室(チャムシル)は数分の距離、ロッテワールドやオリンピック公園にも簡単に行くことができた。 

 会社の裏は少し上り坂になっていて、坂のすぐ右手に中学校があり、早目の昼食を食べに行こうと通りかかるとそこからずいぶん賑やかな音楽が聞こえてきた。打楽器を打ち鳴らすドン、カン、ジャンの音が絡み合った独特の音色であり、しかも大勢が鳴らす一大音量となって空きっ腹に響いてきた。

 それが韓国の伝統音楽の一つ、サムルノリと知ったのはずいぶん経ってからだ。叩き手はもちろん中学生なのだろうが、一体どんな恰好をして練習しているのだろう。こちらは興味津々なのに、覗くには距離があり過ぎてついに見ることができなかった。

 昨秋、姉妹都市の西帰浦市を鹿嶋市の中学生と一緒に訪れた折、図らずもその練習風景が目の前で展開されたのであった。大新中学校の近くの修練場の舞台で日韓の中学生9名ずつの18名がパジチョゴリ衣装の先生の指導を受けての合同練習が始まった。大小の布ケースからケンガリ(鉦)、チャング(鼓)、ポク(太鼓)そしてジン(銅鑼)を取り出させ、どれでも好きな楽器を取りなさいと生徒に選ばせた。鹿嶋の生徒は一体どんな音が出るかも分からず、手近な楽器に手を伸ばした。

 「これからサムルノリの練習をします。サムルとは4種類の楽器、サムルノリはそのサムルを演奏しながら踊るということです」。パジチョゴリ先生が韓国語と日本語で説明する。「いいですか、このマークは大きく叩く“トン”、これは中位で“クー”、そして小さく“タ”です。トン・クー・タ、ケンガリを叩きながら強弱・強弱とリズムを取る。皆さんも一緒に声を出して、トン・クー・タッ、トン・クー・タッ、もっと大きな声で、ハナ・トゥル・セッ、トゥッ・トゥル・セッ、いち・に・さん、にー・にっ・さん、その調子その調子」と生徒を立てる。「こんどは、楽器を叩いてみよう」と、楽器の叩き方を一つひとつ説明していく。小さかった音がだんだん大きくなる。

 「もっとしっかり叩いて、調子を合わせて、いいぞ上手だ、その調子だ」
 「あれ、あなたはケンガリが持てないの」と一人の女生徒に訊く。「ウェンソゲ?」と覗き込むが、彼女は何と訊かれているかも分からず、ただあかくなって俯くばかりだ。「左利き?」と通訳すると小さく頷いた。それならと持つ手を左から右に替えさせ、左手で叩かせた。練習は再開され、音はどんどん大きくなり、そして響き始めた。

 「今度は立ってやってみよう、肩を入れて叩いて下さい。前に歩いてみよう、今度はそのまま下がって」。90分の授業が終わるころには全員が汗だくだった。10年前の空きっ腹に響いた音、サムルノリ、豊年を願い豊穣に謝する農楽、サムルノリ、私の目の前で日韓の中学生が一つになって力強く演奏し踊っていた。 

  たけむら・かずひこ  1938年東京生まれ。94年3月からソウル駐在、コーロン油化副社長などを歴任。98年4月帰国。日本石油洗剤取締役、タイタン石油化学(マレーシア)技術顧問を歴任。茨城県鹿嶋市在住。