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2006/09/15

<随筆>◇「地の果て」に立つ◇ 崔 碩義 氏

 数年前になるが、朝鮮の実学を集大成した大学者、チョン・ヤクヨンが康津に流刑されていた頃に住んだ「茶山草堂」を訪ねて行ったことがある。

 光州から羅州経由康津行きのバスに乗ったおかげで、歴史の古い羅州の町並みや、広い平野を西に蛇行して流れる栄山江の美しい景色を眺めることが出来た。そういえば、全羅南道を流れる蟾津江、耽津江、そして栄山江はいずれも素晴らしい川で私は好きだ。そこには昔ながらの自然がいっぱい残っているからである。

 康津からはローカルバスに乗り継いで万徳山のふもとで下車する。鬱蒼とした樹木に囲まれた坂道を息を弾ませて通り抜けると、秋史金正喜が書いた有名な「茶山艸堂」と「宝丁山房」という二つの懸板が懸かっている「茶山草堂」の前に出た。しばらく草堂の板の間に上がって休んでいると、見学者たちが次から次にやってくる。なかには、明らかに新婚旅行中だと思われるカップルさえいたのには流石に驚いた。それからチョン・ヤクヨンが寝泊まりした東庵と、茶山四景などを見て回る。また、その向かい側にある天一閣からの眺めは天下一品。眼下に康津湾の風景が百八十度に展開し、別世界にいるような気分にさせられる。

 茶山草堂からの帰り、知り合ったばかりの紳士に誘われて「地の果て」(タンクッ)というところに行くことになり、その人の乗用車に便乗する。地の果て(?)という地名に惹かれなかったといえば嘘になるだろう。

 一時間後には目的地の「地の果て」(別名、土末)に到着。ここは地理的にいえば、朝鮮半島の最南端(全羅南道海南郡松旨面松湖里)に位置し(但し島を除く)、北緯34度17分、東経126度6分の地点である。海岸にはそれを記念する三角形の、高さ10㍍もある土末塔が建っていた。

 私は今、ユーラシア大陸の東の突端に立っていると思うと、一瞬、じーんとする感動が体の中を走る。展望台に駆け登り、目の前の海に浮かぶ美しい島々を望み、歓声を上げたのはもちろんだ。よく晴れた日には済州島の漢拏山も見えるとのこと。南国の陽光と紺碧の海、飛びかう白いカモメがとても印象的であった。

 参考のためにいえば、朝鮮半島の南の海にある閑麗海上国立公園と多島海海上国立公園には無人島まで含めると、ざっと二千数百もの島が浮かぶという。昔の人は、これらの島に実にいい名前を付けたものだ。

 こころみに島の名を挙げると、蘆花島、所安島、楸子島、羅老島、蓮花島、金鰲島、居金島、皇帝島、巨文島、青山島、孟骨島、黒山島、狗子島、観梅島、独巨島、屏風島、牛耳島、荷衣島、慈恩島、晩才島、飛禽島………など。表音文字のハングルではとても味わえない名前だ。

 ところで、この土末の波止場から甫吉島(李朝時代に尹善道という詩人がいた)に渡るフェリーが出ていたが、今回は、残念だが乗るのを見送った。


  チェ・ソギ 在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『黄色い蟹 崔碩義作品集』(新幹社刊)などがある。