ここから本文です

2006/07/21

<随筆>◇デモ文化◇ 韓国双日 大西 憲一 理事

 韓国全土を席巻したワールドカップも終わった。16強を狙った韓国は最終試合で一歩届かず涙を呑んだが惜しかった。日本と違って本当にあと一歩だった。翌日のスポーツ新聞の見出しは「呆れた誤審・盗まれた16強」。悔しさが滲み出ている。

 当社の真ん前にある清渓川広場は連日連夜「デーハンミングク」と賑やかだったが、これで静寂が戻ってくるな…と思うのはちょっと甘かった。韓国敗戦の余韻が残る週末、広場はハチマキを締めた勇ましいいでたちの老若男女でギッシリと埋まっていた。音量一杯の音楽が鳴り響き、リーダーの大音声が延々と続く。韓国恒例の春闘、デモの季節到来です。

 今や夏の風物詩になりかかっているが、久しぶりに静かな清渓川のせせらぎを期待していた小生の夢は吹き飛んだ。近くにはデモ隊目当ての屋台も出ている。舞台では若者による歌と踊りが始まった。まるでデモを楽しんでいるような華やいだ雰囲気だ。

 韓国の労使紛争は1987年6月29日の盧泰愚大統領による「民主化宣言」以来、一気に拡大した。「これまで資本家に搾取され続けてきた恨みを晴らさん」とばかりに、過激な労使紛争が各地で勃発し、韓国経済は麻痺状態に陥った。激情した労働者の焼身自殺まで出た。家族を盾に篭城する大手企業もあった。健全な労使関係樹立には避けられない道かも知れないが、とにかく激しかった。

 デモ隊には機動隊がつきものである。防弾ガラスの機動隊バスが近くの道路を埋め尽くし、交通はマヒ状態となる。昔のように火炎瓶や催涙弾が飛び交う過激なデモはあまり見られなくなったが、デモ隊と機動隊の小競り合いは絶え間なく、立場上防戦一方の機動隊の若者が負傷することも珍しくない。

 先日の韓米FTA反対デモでは「数百人のデモ隊が竹の棒で攻撃すると、機動隊は盾で応戦したが血を流す者も少なくなかった」と報道されている。機動隊は戦闘警察隊(略称「戦警」。今時、勇ましい名前です)に所属するが、ほとんどが兵役の一環として派遣されている学生など素人の集団で、攻撃的なデモ隊の前面に立ち向かうのは気の毒な役回りではある。

 当地の報道では、最近、警察署の窓口で会社側と労組の「場所取り合戦」が繰り広げられているという。本社前でのデモを申請する労組と、それを防ぐために集会名目で先に許可を取ろうとする会社側との競争なのだが、お互い大変だ。昨今はかなり穏健になったとは言え、韓国の「デモ文化」は海外からは歓迎されていないようだ。外国人の投資阻害要因の上位にランクされている。
 
 確かに過激すぎるのは問題だが、でも、韓国の「デモ文化」に、溢れるばかりのエネルギーのはけ口を求める「韓国らしさ」を感じるのは私だけだろうか。


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。04年4月、韓国双日に社名変更。