ソウルでカラオケ・クラブに行って、知らない人が歌う歌を聞くほどつまらないものはない。しかも近年、そういうところで登場する韓国の歌は、ぼくらオールドカマーのおじさんにとってはなじみのないものばかりだ。余計に面白くない。だから韓国の歌を歌いたい時は、味気ないけれどももっぱらノレバン(韓国式カラオケボックス)となる。
在韓日本人たちも当然、韓国の歌は一つや二つは知っている。彼らが歌う韓国の歌はその時々の人気曲が多い。だから彼らの歌は時代の反映でもある。ぼくは1970年代から韓国でそれなりに歌い込んできたが、近年、在韓日本人の間で歌われなくなった歌の一つに「釜山港に帰れ」がある。
韓国語のタイトルは「トラワヨ・プサンハンエ」でチョー・ヨンピル(趙容弼)が歌い、80年代に日本人の間で爆発的人気を得た。日本社会で定着した最初の韓国大衆歌謡といっていい。当時、チョー・ヨンピルはとくに日本のおばさんたちのファンが多く、追っかけ場面もよくあった。その意味では“ヨンさま第一号”である。
ソウル・オリンピック(1988年)のころだったか、日本での「プサンハン 」人気に嫉妬(?)した韓国マスコミが「日帝時代を懐かしんで日本人が好んで歌っている」などといい加減な解説をしているので、笑ってしまったことを覚えている。当時、バンドが付く飲み屋やはやり始めていたカラオケでは、日本人というとまずこの歌だった。
実はこの歌に先立って、日本では1970年代に一部ファンたちの間で「カスマプゲ」が流行している。女性歌手のイ・ソンエ(李成愛)が歌ったもので、「プサンハン 」と同じくド演歌調で日本人の情緒にもピッタリだった。ところが近年、ソウルのカラオケでこれらの歌を歌う日本人はほとんどいない。ぼくのようなオールドカマーのおじさんにはこれが実にさびしい。したがって最近、「プサンハン 」は実は盗作で、本当の元歌は「トラワヨ・チュンムハンエ(帰れ忠武港)」だったというニュースがあっても、そんなに関心はなさそうだ。
「プサンハン 」は周知のように韓国語版は玄界灘をはさんで別れ別れになった兄弟の話だが、日本語版は男女の話になっている。しかし元歌は男女の話だったというから、日本語版の方が正解というわけだ。ただ忠武港ならともかく、釜山港となると日本がらみで兄弟の話の方が情緒がある。いや、玄界灘をはさんで男女でもいいか。
いずれにしろ“ヨンさま第一号”が歌った「プサンハン 」は名曲だ。韓国の大衆歌謡としてはやはり地名(つまり故郷)が入らないと名曲にならない。おじさんにとって最近の韓国大衆演歌が面白くないのは、地名が入っていないことだ。もっとも韓国でも都市生まれが増え“故郷喪失”がもっぱらというから、これはオールドカマーの無いものねだりか。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。