話は昨年10月にさかのぼりますが、前にこの欄で書いたことのある平均年齢62歳の済州島ツアーのメンバー8人が、とにかく「安い」という事にのみ惑わされて、中国は煙台・威海ゴルフツアーを計画。
「アンタ、イルボヌだから向こうでは余り喋らん方が良かけんね」などと少し脅かされながら参加しましたが、仁川空港から空路たったの1時間で、煙台空港に到着しました。朝鮮族出身の屈強なチョルムン(青年)のガイドさんの案内でまずは煙台から約80㌔くらい南の威海市にバスで移動しました。ちなみに煙台市は人口約600万、威海市は約280万というのですが、やはり面積が広いせいか人がウジャウジャという感じは少しもせず、むしろ威海などはイルムデロ(名前の如く)白波をたてる堂々たる海を背景に西洋風の高層アパートが立ち並ぶ地中海を偲ばせるものでした。
早速夕食の為に市内に出たところノッレジマセヨ(驚くなかれ)、ここは韓国かと思わせるほどのハングルラッシュ、中国ご本家の漢字だけの看板の上に下に、または横に必ず大々的にハングルが表記されているじゃありませんか。またウォン貨が紙幣はもちろん、スッピョ(銀行小切手)も堂々と使用出来るというから、本当に驚かされました。
その夜のご馳走は海の幸の中国式大宴会場、ここも客はミーンナ韓国の人々、ハングルのみの世界でした(もっとも威海市は中国の夏の別荘地らしく、その時は季節外れで中国の人もすくなかったようです)。
さて翌日はすっかり晴れ渡る空を背景に威海C・Cに向かったのですが、ここは完全に海に包囲された崖ッ渕コースで、ガイドがバスの中で網に入れた中古のゴルフボールを一人20個ずつくれたので、「ウッスッケポジマヨ」(バカにすんなよ)と心の中で思ったのですが、打つ球、打つ球ミーンナ白波立てる海に落ちていくのを見ると、「やはりガイドさんは何でも分かってるんだナ」と、寂しく微笑む私でありました。
ゴルフを終わって、これも威海第一と云う中国式マッサージ学院で2時間コースの実習と言うか、足の温湯マッサージから始まり延々2時間全身アンマをやってもらう所へ行きました。ゴルフで疲れた後、気持ち良かったのですが中国の小姐(シャオチェ)が皆ジーパンにTシャツ姿だったので少しがっかりしました。そしてこの日の夜は噂の「北酒場」じゃない北韓食堂で、予約制でしたが例のガイドが割り込んで入れてくれて、ここはもう全席満席状況の大盛況、「パーンガッスムニダ」の唄と踊りにのせられて食べた料理は正直いって(クチョクレ(マァマァ)の出来でしたが、嘘じゃなくてキムチだけは非常に旨かったと今でも思ってます。
中国の山東省一部を中心にした韓国の経済進出のすさまじさを目のあたりにして若干ショックを受けた旅行ではありました。
たぐち・りょういち 1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。