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2007/12/07

<随筆>◇韓流余聞◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 この秋の話で、ソウルから東京の留守宅に電話したおり、珍しく電話に出た娘が「リュ・シウォンのお父さんが亡くなったんだってねえ」というではないか。「エーッ!ほんとか?」と驚き、思わず叫んでしまった。そして「そんなはずはないぞ。どこで聞いたんだ?」と言ったところ「日本の週刊誌に出ていたよ」という。

 早速、調べたところ間違いなかった。ちょうどそのころ出張で韓国にいなかったため、耳に入らなかったらしい。それにしても“韓流スター”の関連ということで、日本での関心と情報の速さにあらためて驚いた。

 ところでリュ・シウォン(柳時元)のお父さんは柳善佑氏といってぼくの長年の知り合いだった。大邱の嶺南日報記者出身で、ある因縁から二十数年来の友人になっていた。豊山・柳氏の名家の子孫で、李朝時代の愛国学者・柳成龍の十二代目にあたり、安東の両班村である“ハフェ(河回)マウル”に文化財級の韓屋を持っていた。父子ともどもそうした家門が誇りでもあった。

 娘がそのリュ・シウォンのファンだったため、娘に頼まれリュ・シウォンのサイン入りブロマイドをお父さんからもらって送ってやったことがあった。そんな因縁で柳善佑氏の訃報を東京経由で知ったというわけだが、知ったのは葬儀の後で、弔問に行けなかったのが今も残念でならない。

 柳善佑氏はその家門、さらには新聞記者出身ということもあり相当な愛国者だった。ぼくとは歴史がらみではよく論争もしたが、晩年は日本礼賛論者だった。理由は、息子が日本を舞台に活動するようになったため、契約文化やビジネスにおける信用問題など日本のことをよく知るようになったからだ。

 その彼と亡くなる二週間ほど前、元気に昼飯を一緒にしたばかりだった。だから「エーッ、そんなはずはないが…」となったのだ。脳出血のよる急死だったという。享年七十二。合掌。

 韓国でも近年は「七十二歳」というとまだ若い。高齢化時代における七十二歳は若死にである。なのにこの原稿を書いている時、もうひとつまた七十二歳の知人の訃報が入ってきた。李基鐸・延世大名誉教授が亡くなったというのだ。日本でもよく知られた有名な国際政治学者で情報通でもあった。

 彼は故郷が北ということもあってか、北朝鮮の体制には厳しく、韓国社会が親北ムードに流れるなかで“正論”を吐き続けてきた骨のある学者だった。研究室にとじこもる学者ではなく、現実政治や国際情勢を絶えず念頭において活動し分析する学者で、教えられることが多かった。李基鐸教授の葬儀には間に合い、弔問させてもらった。あらためて合掌。

 それにしても近年、知人の訃報が多い。それだけこちらも齢を重ねたということかもしれないが。考えされられる年の瀬である。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。