在日文芸のジャンルもここに来て多面的な広がりを見せ、今までは小説や詩が中心であったのが、短歌や俳句の分野にまで進出している。例えば、短歌では李正子、金夏日、俳句では姜キドンなどの活躍がめざましい。彼らは等しく民族的情念を基調に、在日を生きる悲哀と不条理に対する憤怒を詠っている。
それにしても姜キドンの『パンチョッパリ』、『身世打鈴(シンセタリョン)』、『ウルジマラ』といった一連の俳句集のタイトルの響きの強さには一驚する。
◇大山も姜もわが名よ賀状くる
この句は『身世打鈴』に載っている姜キドンの代表的な作品の一つだ。続けて「パンチョッパリと嘲笑する者あり、それもよし。吾は半日本人なり」と彼は言い放つ。日本で生まれた在日が半チョッパリ化するのは、やはり一種の宿命なのかも知れない。彼は自分を半チョッパリだといって自嘲するが、一方で民族的ルーツに強いこだわりを見せる。姜キドンの一連の俳句に彼の生の軌跡と、凄絶な精神的葛藤を垣間見ることができるのである。そこで手っ取り早く、彼の俳句集の中から筆者の心に打鈴した句を幾つか並べてみよう。
◇冬怒涛帰化は屈服と父の言
◇祭の夜肌身離さず外人証
◇アリランの流れくる野や雪乱舞
◇「哀号(アイゴー)」と口癖の母餅焦げても
◇「恨(ハン)」と「怨(オン)」玄界灘に雪が降る
◇父母逝きて祖国遠のく白木槿(しろむくげ)
◇やどかりや祖国を棄てしには非ず
◇寒月や遠吠えのごと祖国恋う
◇ウルジマラ濁酒(マッコリ)呷り忘れちやえ
◇月おぼろ李朝の碗に酒そそぐ
言うまでもなく俳句とは、五、七、五から成る日本独自の定型詩で、渋柿のような余韻が漂うのが良いとされる。私は俳句については素人だが、小学生の頃に習った「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」(子規)という句を今でも不思議に憶えている。
◇しぐるるや在日のわれも漂泊者
この句は姜キドンが山頭火に想いを馳せて詠んだもの。漂泊者といえば李朝末期の金サッカもまた漂泊者であった。金サッカの「万事皆有定 浮世空自忙」(みんな決まっている、浮世でじたばたしているだけよ)という漢詩もなかなか味がある。最後に、姜キドン氏を簡単に紹介すると福岡市在住の在日二世で、会社を経営する実業家である。その俳句歴は古く、加藤楸邨に師事したと聞く。現在、『俳句界』という雑誌の発行元である「文学の森社」の代表取締役という顔も持っている。
なお、落合博男氏に「姜キドン氏の俳句について」(『在日朝鮮人史研究』30号)という優れた論文があることも付け加えておこう。
チェ・ソギ 作家。在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『韓国歴史紀行』(影書房)などがある。