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2007/06/01

<随筆>◇国都劇場の思い出◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 先ごろ韓国と北朝鮮の間で分断されていた鉄道の“連結イベント”があった。そのうち京義線は朝鮮半島を縦貫する最大幹線で、元は二十世紀の初めに日露戦争の際に日本の手で建設されたものだ。解放後、朝鮮戦争の際に分断されたままになっていた。日本人にとっても韓国人にとっても感慨深い鉄道である。

 試験運転は板門店を通って開城まで行われたが、日本統治時代は開城からソウル(当時は京城)までこの鉄道を使って通勤、通学していた人も多かったという。

 その一人に金寿妊さんがいる。彼女は故李方子妃(旧姓・梨本宮方子)に長くおつかえした人で、もう80歳を超しておられるが、なかなか元気なおばあちゃんだ。時々お会いして昔話などを聞かせてもらっているが、開城出身だったので日本統治時代は毎朝、列車でソウルの女学校に通っていたという。だから今でも開城からソウルの南大門駅まで、沿線のすべての駅の名前を覚えていて、すらすらいえる。

 開城は高麗時代の首都だが、ソウルからは近い。したがって朝鮮戦争前は韓国の領土に入っていたのだが、戦争で北に取られてしまった。その代わり南―韓国は東側をかなり押さえたため、結果的に南北軍事境界線は右肩上がり、つまり左肩下がりになっているというわけだ。

 開城といえばすぐ”開城商人”という言葉を思い出す。開城出身者は商売上手というか商売熱心というのだ。その理由については、李成桂が高麗を滅ぼし李氏朝鮮(朝鮮王朝)を建てた後、開城人は権力から遠ざけられ、いじめられたため、商売で生きるしかなかったからという説がある。その”開城商人“の流れをくむ一人に、ソウルのガーデンホテルの経営者である李一揆会長がいる。慶応OBの知日派で知られるが、最近、乙支路に新しく「ホテル国都(KUKDO)」をオープンした。「低価格で高級感」がウリのニュー・ビジネスホテルだ。

 ところでホテルの名前になっている「国都」は、この場所に以前、老舗の映画館「国都劇場」があったからだ。昔、何回か足を運んだことがあるが、日本統治時代の1913年に建てられた、オペラ劇場のような造りの実に品のいい映画館だった(当初は黄金町にちなんで”黄金館“とネーミングされた)。

 「国都劇場」は洋画全盛時代にも頑固に国内作品を上映し続けた映画館として知られる。”韓流“の育ての親といってもいいだろう。歴史的に記憶されていい映画館だった。

 この映画館も李会長一家の所有だったのだが、時の流れには勝てずホテルになってしまった。近代建築として素晴らしく、文化財として保存できないかという話もあったそうだ。しかし政府など公的機関が財政的支援に乗り出さない限りそれも難しい。それでもホテルの名前に「国都」を残したのはよかった。これで「国都劇場」の思い出は残り続ける。


   くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。