5月に入り韓国でも一番爽やかでよい季節になりました。季節は変わることなく年ごとに巡って来て、それも年を経るごとに早く感じられ、「ナエーチョンチュナーッ(私の青春よーッ)と叫びたくなる今日このごろですが、私の会社でも代表始め経営陣が刷新され、この思いを更に強くしております。
肉体と精神は若いころのままでいるのに、周りの環境がどんどん変化していって、ついていくのもひと苦労。しかも人一倍負けが嫌いで見栄っ張りときているから、肩ひじ張っての生活の疲れること。ケダガ(おまけに、その上に)13年間も一緒に仕事をしてきたA君がこの4月、惜しまれながらも家庭の事情で帰国してしまったため、後任の人が来るまで日本人は私1人というケロウンシンセ(寂しい身の上)を味わっています。
1人になると何が困るといって昼食が一番困ります。A君がいた時は外に出てカルビタン、スンドゥブ、キムチチゲ、プデチゲなどのくり返しでしたが、1人になるとこれらの店に行けない。たまに副会長、監査役などのオルシンブン(年長の方)から声がかかると、まず間違いなくタロクッパプ(いわゆるヘジャングック)で、嫌いじゃないけどこればかりでも困る。アレッ、私は今日は何を書こうとしてたのかな?
ということで、私は世代交代による社内の変化、A君帰国のために生じた昼飯孤独に襲われて、ヤッカン(若干)ウウルハン(憂うつな)毎日を送っていたのです。
そんなある日、4月からの新体制で代表理事社長に就任したY社長が部屋に訪ねて来て、「私が社長になった途端に営業がうまくいかない。このままでは4月の目標を達成できないかもしれない。何か良い方法はないもんだろうか」。私は日本での経験、実際に営業の危機を乗り越えた例や、その方法も具体的に説明したが、その時社長が、「ヨクシ(さすが、やっぱり)クグァニミョングァニグナ」とつぶやいた。「ナッ、ナンですか、それは?」と訪ねたところ、漢字「旧官名官」を書いて説明してくれたのでした。漢字で書けば皆さんもお分かりでしょうから説明は省きます。
寡聞にして私は初めて聞く言葉でしたが聞いた瞬間、私は目からウロコの状態になり、「そうかァ、旧官名官かァ、良い言葉だナァ、俺もまだまだ捨てたもんじゃないんだナァ、頼りにされてるかもしんないナァー」と、思いつく限りの自意識昴場の言葉を思いうかべ、「ヨッシャ、もうひとふんばりやったろかい」とつぶやいたものでした。
日本では「脳年齢、年金すぐにもらえます」などとたわけた川柳が流行ってるらしいですが、ヨロブン我々の世代は「年金は必要ない、今も現役だァ」のマウムルカジゴ(心意気で)プンバルハプシダァーッ(発奮しましょー)!ほとんど悲鳴、絶叫に聞こえるのが怖い。
たぐち・りょういち 1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。