「人の命なんてどうでもいい」とばかりに、最近は食品偽装や毒物混入に関する報道が後を絶たない。日本国内ならインゲン、うなぎ、ギョーザ、韓国なら“チンサル事件”やメラミンだろうか?最近の殺虫剤混入事件といい、連日の報道にまたか!ぐらいな気持ちしかなくなっているのが怖い。食べ物の安全って、生きるうえで最大重要事項じゃないだろうか?パソコンがなくても、車やブランド品がなくても生きていけるが、食べ物はそうはいかない。
今の私にとって食の安全を確保する方法は、できるだけ加工品を食べないで、外食をせず、国産の材料を使って、手作りの料理を心がけるしか対抗策はないが、仕事をしていれば外食の機会も多い。昔ほど外食がうれしくないのは、食の安全の基準が揺らいでいる今、食を供する側への不信感がぬぐいきれないせいだと思う。人々が食に対して手抜きしたり、必要以上に安価を求めた結果、日本は中国やアジアの人件費の安い国に生産を頼ることになった。ある意味、利益と利便追求がもたらした現状なのが哀しい。
この夏、その火元のような中国に仕事で行き、現地に暮らす日本人駐在員3人の生の声を聞いて、びっくりした。中国では食中毒は珍しくないらしい。現地で暮らす駐在員のひとりは「食の安全にこだわっていたらこの国では暮らせない」とあきらめ顔だった。中国の大富豪は無農薬農園を所有して、完璧な食の安全をお金で買っているそうだ。普通のお金持ちは高くても日本産の食材を買っている。そして、庶民は危険と隣り合わせ。何ともやるせない格差がここにもある。
韓国国内の「牛肉問題」はその大々的なデモが日本で報道され、注目を集めた。食の安全の確保というより、対米政策への批判なのが韓国らしいと感じた。立派な政治問題だったからあんなにデモが広がったのだろう。
食の安全に関して、韓国人はどんな意識を持っているのか以前から気にかかってしょうがなかった。ソウルのスーパーで買い物をすると国産か中国産かを、けっこう大きい字で表記してあり、以前から、そこにこだわっているのはわかる。ただし、食堂などではスープの味が添加物まみれという気がする。キムチも外食で供されるのは、いまや中国産がほとんどだと聞くし、あんなに辛くて、唐辛子とニンニクたっぷりの食べ物はちょっとやそっとの添加物を入れたって味の違いに気づきにくいのでは?とキムチが大好きな私は、韓国で食事をするたびにちらっと思ってしまう。参鶏湯の鶏もどこで何を食べて育ったものか気にかかる。
すごく大ざっぱに見られがちな私だが、実は健康のためなら死んでもいいと思っている小心者だ。自宅で料理を作るときは、素性のはっきりした鶏をネットで取り寄せたり、生協の食材を支持する、自称こだわりの料理人なのだ。とはいえ、旅行先では中国でも韓国でも、ケンチャナヨ精神で完全武装してお腹いっぱい食べてしまうのは毎度のことだが。
ユン・ヤンジャ 1958年神奈川県生まれ。在日3世。和光大学経済学部卒。女性誌記者を経て、91年に広告・出版の企画会社「ZOO・PLANNING」設立。2006年6月「㈱生活文化出版」設立。「第六感 スピリチュアルパワーの磨き方」を刊行。