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2008/08/01

<随筆>◇いい湯だったなぁ◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 ソウルの中心街であるソウル市庁の斜め向かいに徳寿宮がある。この裏一帯は「貞洞(チョンドン)」といって、都心には珍しい閑静な場所だ。十九世紀の開化期、外国関係の施設などもあってちょっとした外交街だった。今でも英国大使館、ロシア大使館、カナダ大使館、米国大使公邸などがある。

 さらに梨花女子高校など女子高校がいくつかあり、古い教会もある。街路樹など緑が豊かで散歩道にはもってこいである。「トクスグン、トルダムキル(徳寿宮石垣道)」という大衆歌謡にもなっているほど風情がある。とくに秋にはイチョウの落ち葉が見事で歩くのが楽しい。

 この「貞洞通り」のビルの地下に二十四時間営業の大衆浴場「貞洞湯(チョンドンタン)」がある。かなり昔からやっていて、サウナやチムチルバン、休憩室、仮眠室なども備えた結構、大型のお風呂屋さんだ。

 ぼくの事務所がある京郷新聞社ビルのすぐ近くなので、ぼくもよく通っている。もう十数年になるが、この「貞洞湯」に年恰好が似かよった馴染みの「四人組」がいる。いずれも近所で商売している。ぼくのほかトンカツ屋、薬局、お粥屋のオヤジを加えた四人だが、薬局が最年長でぼくが二番目である。時間的にもっともひまな昼間に出かけるので、お互いよく顔を合わせ、よもやま話となる。まあ、ご近所同士の文字通り“ハダカの付き合い”というわけですなあ。

 それはそれとして、風呂屋というのは人間ウオッチングには面白い。たとえば最近、気になっているのが韓国の中年男たちのメタボぶりだ。みんな実に肉付きがいい。腹も相当出ている。ほとんどが八十キロ以上である。韓国人の体型の特徴は背中が大きく短足だから余計、肥満が目立つ。七十二キロ前後のぼくがすこぶるスマートにみえる。一九七〇―八〇年代に目撃したソウルの風呂場に於ける裸群像とは明らかに異なる。

 それに気のせいだろうか、彼らは自らのメタボぶりを誇示し、楽しんでいるように見える。太っていることが男らしいと思っているかのように。貧しかった昔は、肥満は富の象徴で自慢の対象だったけれど。

 いや、韓国人はもともと肩をゆすった歩き方など、身振りが大きいからそう見えるのかな。実は彼らもひそかに肥満に悩んでいるのかも。「あんなにメタボだと、これから生活習慣病が大変だぞ…」と、人ごとながら心配してあげている。その「貞洞湯」がどうやら店じまいするらしい。番台は否定しているが「四人組」情報では確実だ。ビルを財閥系の大手保険会社が買い取り、地下は駐車場にするというのだ。財閥企業が都心の一等地で、ビルの地下を風呂屋に貸すはずはない。

 やがて「貞洞湯」も姿を消し「四人組」も解散だ。かくして「ぼくのソウル」はまた味気なくなるのでした。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。