フランス語の響きがそこはかとなく漂うソ・ワール会。ナーニ、そんな高尚なものではありません。1980年代に活躍されたソウル駐在員代表の面々で発足した、しかも3回で消滅した実に愉快な会だったのです。先ずその名称は と言いますと「ソウルで頑張るチョイ悪オヤジ達の会」ということで、ソ・ワール会。もう皆さん全員が第一線をリタイアされていますのでメンバーの実名を挙げてもかまわないと思いますのでクロケハムニダ(そうすることにします)。
先ず会長格でゼロックスの柿木さんがいて、以下年齢順に朝日新聞の小林さん、特殊インクの酒井さん、パーカライジングの片岡さん、商工会の久我さん、KRNの三木さんと、それに当時ソウル現役の関取(元天津灘)と私。それにスポットで各々の会社のソウル現役の人達がその都度参加されていました。
イサハヌイリンデ(不思議なことに)80年代の終わりになると「飲む」、「打つ」、「買う」と三拍子揃ったこのメンバーが一斉に帰国してしまい、残された関取と私は本当にソプソプハン(寂しい)思いをしたものでした。
そこでみんなで相談して1年に1回ソウルに集まり楽しもうということでこの会が発足しました。そして確か90年の夏に第1回のソ・ワール会が開催されました。全員午後7時に当時の関取の店「自販」(忠武路に今でもあるらしいです)に集合し会食。鶏のスリ身のチャンコが懐かしい。
この日は翌日の「打つ」(ゴルフ)に備えて漢南洞一軒だけ。ここでも各自のタンゴル店(行きつけの店)を主張して譲らず何組かに分かれて行く羽目になると云う、実にまとまりのない会でした。翌日は早朝ゴルフ(主に漢城CC)で、昼過ぎからは二組に分かれて別打ち。麻雀のことですが、この会は麻雀大好きメンバーの会でもあったのです。そして会の最高潮に達する夜の大宴会でパンソク・パーティーです(料亭でのパーティー)。
普段は皆仲の良い良識ある人達ばかりでしたが、このパーティーのパートナー選びの時だけは絶対に譲らず、人間というよりも男の本性を垣間見た感じで空恐ろしくなったものです。公式行事の二日間は終了しても、皆さん勝手知ったる我が街ソウルのことですから、その後平均二日間はヨンユー(こんな言葉ないナ、「連遊」)して帰国されました。
その後2年間は同じパターンでソウルで開かれたのですが、いつとはなしにワンパターンの会運営に皆が飽きてしまい消滅してしまいました。それはそれでこの会らしくて良かったのですが、あれから又々ひと昔以上たって、くそ暑い夏がやってくると何となく懐かしく皆さんに声を掛けてみようかナーなどと考えてる今日この頃です。今度の名称は「ジジ・ソ・ワール会」として。フランス語風発音が一層強まりましたナァ。
たぐち・りょういち 1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。