久しぶりに顔を出した小料理屋の武蔵親方の様子がいつもと違う。ここの親方の包丁裁きは剣豪・武蔵のような切れ味を誇っているが、その親方が私を見るなりいきなり険しい顔で迫ってきた。「このデモは一体いつまで続くんですか?」「あ、いや、すみません」。剣幕に押されて思わず謝ってしまった。「お陰で売上が半分ですよ、半分。あと1ヶ月も続いたら、もう店は終わりですよ」「それは大変ですね。でも頑張って下さい・・・」。汗をかきながらしどろもどろの応答。確かに当事者にとっては死活問題だ。
米国牛肉の輸入再開合意を機に始まったロウソク・デモはもう2ヶ月を超えている。始めのころは平和的な、まるでお祭りのようなデモだった。幸か不幸か当社はデモ会場の一つである清渓川広場の真横であり、事務所からデモ行進のメインルートである太平路や世宗路も一望できるが、夕方、ロウソクを持った家族、恋人たちが三々五々集まる様は、まるでお祭りを楽しんでいるような風情があった。
子供連れの父親は「広場にテントを張ってサムギョプサル(豚の三枚肉)を焼いて食べた。子供たちに民主主義を教えるいい機会になった」。お祭りに露天商は付き物で、イカバター焼きの主人は「1日に50万ウオンも売れた。ワールドカップの時に負けない」と嬉々としていた。韓国のデモと言えば過激さが売り物だが「牛肉デモのせいか今度のデモは牛のようにおとなしいなあ」と感心したものだ。
でもやっぱりここは韓国、まもなくデモの様子が一変した。乳牛が闘牛に変わったのだ。家族連れや恋人たちに代わって、戦いのプロたちが先頭に立って警察と激しい攻防戦になり、バリケード代わりの戦闘警察(機動隊)のバスが破壊された。警察は消火器と放水で応酬、双方で怪我人続出。平和な牛肉デモはいつしか反政府デモに拡大して行った。夕方になると近くの会社員は危険を避けてサッサと家路を急ぐか、遠くの飲食店に避難するので、近くの商店にはお客はさっぱり来ない。武蔵親方の嘆きもよく分かる。
土曜日の午後、市庁前の広場で大勢の戦警隊員が折からの激しい雨に打たれながら人間バリケードを作っていた。近くには交代要員がヘルメットを椅子代わりに休んでいた。皆、疲れきった表情だがよく見るとまだあどけない顔の隊員もいる。彼らは兵役義務をこなしている一般の若者たちだが、思わず「スゴハシムニダ(ご苦労さま)」と頭を下げた。
それでも最近は一時の激しさは薄らいで来たようだ。デモ疲れなのか、一足早い酷暑のせいなのか、それとも・・・。心配して武蔵親方に電話して見ると意外と元気な声が返ってきた。「お陰さまでお客さんがかなり戻ってきました。ありがとさん」私が礼を言われる筋合いではないが、でも親方が健在でホッとした。
おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。04年4月、韓国双日に社名変更。