最近、知韓派の女優として知られる黒田福美さんが、太平洋戦争末期に特攻隊に志願して沖縄の海で死んだ卓庚鉉(タク・キョンヒョン、光山文博)の慰霊碑を慶尚南道泗川(サチョン)の地に建立しようとしたが、地元住民の反対にあって失敗した。私はたまたま卓庚鉉についての関心から(同郷でもある)以前、彼の故郷である西浦面(ソポミョン)に行ったとき、地元の人たちに卓庚鉉の評判について質ねてみたことがある。すると大抵の人から「日本のために沖縄の海に突っ込んで死ぬ必要などどこにあるか、犬死もいいところだ」という答えが返ってきた。
私は今では朝鮮人特攻隊員を、戦争の犠牲になった哀れな人と思うことがあっても憎しみの対象として考えたことはない。なお、卓庚鉉の慰霊碑は1984年に一度長崎県に住む在日の某氏が建てようと奔走したが、碑文が問題になって中止になった経緯がある。
生前どんな問題を起こした人であれ死後、遺族や有志が生家の近くに小さな石碑の類を建てたとしても、人間の情からして許されると思う。卓庚鉉の場合もその例外ではない。あのB29に体当たりして死んだ特攻隊員盧龍愚(ノ・ヨンウ)は、自分の故郷ではなく、天安(チョナン)にある国立墓地「望郷の丘」の一画で静かに眠っている。
卓庚鉉の死を悼み、その霊魂をせめて故郷の地に帰してあげたいという黒田福美さんの人間的な善意を私は信じて疑うものではない。だが、出来上がった約5㍍もの馬鹿でっかい碑石を見たとき、率直にいって違和感のようなものが走った。「帰郷祈念碑」といっても事実上は慰霊碑であり、顕彰する意味合いが多分に含まれている。愛国闘士の碑ならともかく、凱旋碑を思わせるようなそんな巨大な碑が必要とは思えないからだ。
黒田さんが地元住民とコミュニケーションを取るのにもう少し努力していたらこんな展開になっていなかったと思うと残念である。ただ、この話は元々彼女の夢が出発点になっている上、「韓国全土の戦没者を悼む施設」にするだの「日韓親善に役立つ観光スポット? 」にしたい、といった個人的な思いつきに多くの人が振り回された形跡がある。ところで、泗川市長が一旦は、趣旨に賛成し敷地まで提供しながら、除幕直前になって撤回したのは大変な失態である。市長は黒田さんに丁重に謝罪した上でその責任を取らねばならないだろう。
遺憾なことに卓庚鉉は、今も靖国神社の遊就館に遺品が展示され、先の戦争があたかも聖戦であったかのようなプロパガンダに利用されている現実に注目する必要がある。日本人の神風特攻隊員はそれでも、自分の祖国のために死んだという大義名分があり、遺族は軍人年金、弔慰金などで手厚く報われている。ところが朝鮮人特攻隊員にはビタ一文も支給していない。こんな酷い差別がこの世の中にあっていいのだろうか。
また、民族が異なる朝鮮の若者を死に追いやったことに対して「済まなかった」という誠意ある言葉の一つがどうして掛けられないのか。
チェ・ソギ 作家。在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『韓国歴史紀行』(影書房)などがある。