「ワッセ、ワッセ」
汗にまみれた細い体が宙に放り上げられた。たくましい若者の上で木の葉のように舞っているのは私。恥ずかしながら生まれて初めて胴上げされました。感激でした。宙を舞いながら、ソウル駐在10数年間、悲哀をなめ続けてきた苦難の過去が走馬灯のように頭を駆け巡った。
ここはソウル市内の日本人学校グラウンド。毎年行われるSJC(ソウル・ジャパンクラブ)主催の最大のイベント・第39回大ソフトボール大会で、我が「双日龍」チームは悲願の初優勝を遂げたのだ。いかにも強そうな「双日龍」とは、当社「双日」と現地会社「双龍セメント」の混成チーム名で、昨年は惜しくも決勝で涙を呑んだだけに、選手一同の喜びはひとしおである。
実は今年の大会には相当入れ込んでいた。寄る年波もあって、かつての野球少年も体力の衰えを感じながら、毎日、バットの素振り10回(少ないですね)を続けてきた。5月から始まった練習試合にもプレーイングコーチとして率先遂行、用意万端。ところがである。以前、ゴルフの大ダフリで痛めた腰痛をかばっているうちに足首を捻挫、必死の治療にもかかわらず大会前数日は患部が腫れて歩くのもままならない状態となってしまった。
大会当日になっても痛みは引かず、絶望に近い気持ちでサンダルを履きながら、それでも運動靴をこっそりバッグに入れて会場に向かった。現地ではすでに最初の試合が始まっていた。この歓声、この熱気。とたんに私の頭の中で何かが弾けた。夢中で運動靴に履き替えた。
最初の相手はいきなり優勝候補筆頭の「サラム会さん」。予想通りの緊迫した試合のまま最終回の裏、1点差に詰め寄られてなお二死満塁。「バッター打ちました。大きい。レフトバック、バック。逆転サヨナラか!」司令塔(のつもり)でキャッチャーをしていた私は思わず目をつむった。でも神は見放さなかった。「レフト捕りました。ファインプレー!」
試合中は無我夢中のせいか、全力疾走しても不思議に痛みは感じなかった。それに当チームの応援に駆けつけて来た奥様方やミスダ(KBSの人気番組「美女たちのおしゃべり」)の美女の前で一人だけ恥ずかしい格好は見せられないという男のメンツもありました。
順調に勝ち進んで決勝戦は強豪の「丸紅」さん。熱戦となったが勢いに乗った我がチームは優勢に試合を進め、折からの雷雨の中、汗と涙と雨の初優勝を勝ち取った。その夜の祝勝会では選手たちの喜びが爆発した。優勝カップでの「爆弾酒」を次々に一気飲み。いつ果てるとも知れない饗宴が続く中、私は隅で一人静かに感激に浸りながら必死に涙をこらえていた。足が強烈に痛み出したのだ。
おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。04年4月、韓国双日に社名変更。