都市の風情についての話である。目で見える街の様子というのは写真で残せるが、音というのはなかなか残すのが難しい。もちろん録音があるからまったく不可能というわけではない。人の演説とかインタビュー、さらには歌などは録音で記録される。
しかし街の写真のような何気ない音の風景というのはほとんど残らない。たとえば人のざわめきや街の騒音、物売りの声などがそうだ。いずれもその時代を物語る記録、つまり歴史なのだが、残らず忘れ去られていく。これが実に惜しいと思うことがよくある。
ぼくは一九七〇年代以来、ソウルで暮らしているが、今やコーヒーショップに取って代わりほとんどなくなってしまった「タバン(茶房)」のマダムが、客を迎えるときの「オソッセヨ~ン(いらっしゃいませ)」という鼻にかかった声など実に懐かしい。
「タバン」はだいたい地下にあって、ルックスがかなり低い。ヒマだとマダムが横に座って話のお相手もしてくれる。そして時に客のおじさんはさりげなくマダムのひざをさすったり 。そういえば「タバン」のマダムはチマチョゴリ姿が多かった。
しかし、ぼくにとっていちばん“懐かしい音”は、一九七〇年代後半の留学時代に下宿で聞いた物売りの声ですねえ。とくに冬の夜長、路地裏で「キムパプ(のり巻)」を売って歩いていた少年の声は懐かしい。
少年は「キームパプ、キームパプ 」と言いながら路地裏を行ったり来たりするのだが、なかなか売れない。すると疲れた(?)少年の声はぼくには「キーンパム、キーンパム 」と聞こえるのだった。「キーンパム」とは「長い(キーム)夜(パム)」である。のり巻売りの少年にとって売れない夜はことのほか長いのだ。
最近、職場に近い光化門周辺の路地裏の飲み屋街で夜、モチ売りに出くわす。モチを入れた小箱を首から前にかけ、「モチ」を意味する掛け声で「トーッ」「トーッ」といいながら売り歩いている。やってくると必ず買う。このモチは小さなカシワモチ風で、子供の手のひらのような小さな丸い木の葉に包まれていて「マンゲトック」という。「マンゲ」は木の葉のことらしいが、日本語では何という木なのかしら。小さなひと口モチで食べやすい。二十個ほど入って五千ウオン(約五百円)である。
しかしこのモチ売りはもう少年ではない。オトナがやっている。韓国社会はもう子供には物売りはさせなくなっているのだ。
それにしても地下鉄の車両内での物売りは相変わらずだ。アイデア商品のたぐいの雑貨がほとんどだが、時には本も売っている。先日は「マンガ漢字教本」というのを売り歩いていたが、これが結構売れていた。この車内物売りの口上も面白い。健康器具から漢字勉強まで、これまた時代の記録として残したいですねえ。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。