北京オリンピックのことが何かと話題だ。世界各地での聖火リレーがチベット問題でもめているためだが、それはそれとして、北京オリンピック自体は成功裡に終わることを期待したい。
というのもちょうど二十年前がソウル五輪で、あの時のことを思い出したからだ。韓国というかソウルもオリンピック開催を機に大きく変わった。当時ソウルでは二年前にアジア競技大会があり、これと併せて都市改造が急速に進み、街が大そうきれいになった。地下鉄環状線(二号線)の完成などというのもこのころだった。
今、漢江沿いの高速道路に「パルパル道路」というのがあるが、これもその名残りだ。「パルパル」というのは数字の「88」で、ソウル五輪が開催された一九八八年を意味する。そういえば当寺、韓国ではこの「パルパル」が大流行した。「パルパル・タクシー」「パルパル・タバン(茶房)」「パルパル美容院」「パルパル建設」「パルパルホテル」 。
ぼくら外国人記者にとっても大きな変化があった。それまでは日本と韓国の間には特派員の制限があった。常駐記者はたしかお互い十五人ずつに限られていた思う。これはもっぱら韓国側の都合によるものだったが、韓国政府はソウル五輪を機にこの制限を撤廃した。日本マスコミは常駐記者を含め自由に記者を派遣できるようになった。
オリンピック開催によって、韓国はいわば「普通の国」になったのだ。また共産圏諸国のソウル五輪への参加をきっかけに、韓国はソ連や中国などそれまでイデオロギー的に対立していた国々とも関係ができた。そしてこの流れは、“その後のソ連崩壊”につながったともいえる。
しかしオリンピックを開催しても北朝鮮だけはどうにもならなかった。「パルパル」の前年の一九八七年秋、ソウル五輪開催阻止を狙って大韓航空機爆破テロ事件を引き起こしている。そして大会にも参加しなかった。それよりはるか以前、西ドイツでのミュンヘン五輪に東ドイツはちゃんと参加しているというのに。
「パルパル」のソウルでは、実はもうひとつ“革命的”なできごとがあった。今でもよく思い出す。それはオリンピックに際しタクシーの運転手たちが客に対し「いらっしゃいませ(オソオセヨ)」「ありごとうございます(カムサハムニダ)」「さよなら(アンニョンヒカセヨ」」といったあいさつをはじめたことだ。
オリンピック開催を機にしたマナー改善や教育キャンペーンの結果だが、あれは感動的(?)でしたねえ。
ところがこのマナーはオリンピック後、一年もたたないうちに見事に消えてしまった。二〇〇二年のサッカー・ワールドカップの時に少し復活したかな?現在、高級な模範タクシーはやっているが、一般タクシーは相変わらずブスッとしている。
ソウルでの次のオリンピックが待ち遠しい。いや、できれば毎年、オリンピックは韓国でやってほしい。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。