韓流なんて言葉が出てくるズーッと昔の、かれこれ二昔も前の話ですが、日本の会社のお局社員4名が「ソウルグルメツアー」と称して遊びに来たことがありました。第一日目の夕食は、当時焼肉料亭としては超有名だった江南の「ヌルボヌ公園」に招待し満足してもらいました。二日目の夕食の話になった時、私は「韓定食というのはどうか?」と提案したのですが、その時のお局4人組の反応は「ムムッ」と、いささか抗議を含んだ目つきで私を見て、「私らグルメじゃけんね。定食なんかで誤魔化そうとしてもそうはいかんけんね。」という危険なものでした。
日本の人は「○○定食」と聞くと「焼き魚定食」、「肉じゃが定食」、「鯖味噌煮定食」という「低報酬不変型人類好物的貧相廉価食事」という方面に発想が始まりモガモンジ(何となく)賛成しかねた模様でした。そうじゃなくて、畳4畳分くらいの大きな食卓に広い白紙テーブルクロスをしいて、食卓の角から角までゼーンブ肉とか魚とか野菜とか玉子とか、ありとあらゆる食材のご馳走がのっていて、その食卓を若い衆4~5人が「ワッセワッセ」と料理を運んできて、皆でガバーッと喰い散らかすシステムであることを丁寧に説明して納得してもらい、実際にハヤットホテル近くの有名韓定食「伽倻廊(カヤラン)」に連れて行って大感激された記憶があるのです。
チト前置きが長くなりましたが、最近どうもこの「ワッセワッセ運搬食卓ガバーッ喰いスタイル」の韓定食にソウルでお目にかからなくなったのです。オッチェトカネ(いずれにしても)韓定食レストランが少なくなり(例:プラザホテル、新羅ホテルの韓食堂はソォミョル(消滅)、未だ残っている所(先に述べた「伽倻廊」、旧有名料亭「三清閣」、そして後述する「竜水山(ヨンスサン)」など)でも韓定食は名ばかり)。西洋風(仏・伊)、日本風、中華風の料理を小ぎれいにアレンジした国籍不明の料理ばっかりになり、つまらなくなりました。
定番の鶏ブツ切り甘辛煮、チャプチェ、ウナギの固焼、アサリの味噌漬けなどの料理もいつの間にかなくなりました。これは先述した「竜水山」と云う店が考え出したウンモ(陰謀)なのです。あの店が、最初に韓定食の小出し方式を開始して大成功し、韓国らしいおおらかさを持った伝統ある大食卓食事方式をブチ壊した張本人なのです。私にしてみればミオミオ(憎い憎い)竜水山というくらいのものです。
つい最近サンケイ新聞の黒田先輩にお会いしたのでこの話をしたら、「そうなんだよネェ、あの迫力がなくなったんだよネェ」と御賛同を頂きました。そこで私は次のように決心致しました。長年お世話になった大韓民国と大韓定食の為に「ワッセ型韓定食復活運動」を立ち上げ、この運動に残る生命の灯を捧げようと 。アラソハセヨ(好きにしなさいよね)の声、あちこち。
1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。