ぼくは一九七八年から七九年までの一年間、ソウルの延世大学韓国語学堂で韓国語を習った。その韓国語学堂が今年で創立五〇周年になり、先ごろ記念式典があった。ぼくも招かれ式典に出席させてもらったのだが、ぼくにとっても今年は“卒業”から三〇年だから感慨深い。
ただ、ぼくは正式には卒業はしなかった。当時、学級は一級から六級まで一年半のコースだったが、ぼくは一年しか留学期間がなかったため、二級から五級まで習い、六級終了の卒業証書はもらっていないのだ。しかし“夜間大学”(夜の街)のことを考えると、正式卒業生たちよりはるかによく励み、実力もあったと自負していますねえ。
ぼくにとってあの時の留学生活体験は、大学前の新村での下宿生活を含めぼくの“韓国原体験”になっていて、今でも懐かしい。韓国語学堂での勉強でいえば、あの時に教えてもらったことは今でもよく思い出す。
たとえばほめられた時、てれたり謙遜したりして「おだてないでください」という言葉をわりと初期に習った。「ピヘンギルル、テウジマセヨ(飛行機に乗せないで)」というのだが、実に面白い表現で、今でもよく使わせてもらっている。そしてさりげなくこの表現を使うと韓国人たちは「おっ 」という感じで実力(?)を評価してくれるのだ。
韓国語学習に関しての当時のエピソードでは、こんなことも楽しい思い出だ。外出して下宿に帰る時、タクシーに乗って「新村に行ってちょうだい」と言ったところが「市庁」に行ってしまったとか。このナゾは「シンチョン(新村)」という発音の難しさからきている。タクシーの運ちゃんにはこれが「シチョン(市庁)」と聞こえたのだ。ここには日本人にとってとりわけ難しい韓国語発音の問題がいくつか含まれているのだが、詳細は省く。ただぼくはこの難題を夜間大学のおねえさんのアドバイスで劇的に解決した。「新村」は「シンチョーン」といい「市庁」は「シーチョン」といいなさいというのだ。今でもこれを思い出しながらやっている。
ところで延世大学韓国語学堂は以前は大学構内の図書館裏にあった。規模が大きくなり、新校舎として現在のセブランス病院裏に移ったのは一九九〇年代初め。そのきっかけの一つは日本政府からの百万ドルの寄付だった。当時、竹下首相の訪韓を機に「竹下基金」として贈られた。日本人がよくお世話になっていて、日韓相互理解にがんばってもらっているからというのだった。
ぼくもたいそうお世話になった。あの時の“原体験”の面白さが今も忘れられず、三十年もがんばらせてもらっている。式典で当時の先生方に久しぶりにお会いし感激した。今でもよく辞書を引き、時に声を出して朗読している。そしてテレビドラマでの若い女性のパンマル(ぞんざい語)乱発に腹を立てている。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。