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2009/07/17

<随筆>◇ドラサン(都羅山)◇ 韓国双日 大西 憲一 理事

 「ドラサーン」ドラが3つあれば麻雀なら満貫は確実だが、ここは雀荘ではありません。韓国最北端の「ドラサン(都羅山)」駅なのです。SJC(ソウル日本人会)の「鄭在貞教授と一緒に歩く歴史紀行・朝鮮半島鉄道の旅」という企画に飛びついて、南北を結ぶ鉄道・京義線に乗って「ドラサン」にやって来ました。初体験です。

 韓国歴史学会の権威・鄭教授によると、ソウル(旧京城)と北朝鮮の新義州を結ぶ650㌔の「京義線」は1906年4月1日に日本軍によって開通した。現地農民が延べ1億2000万人も狩り出されたので、現地の人の血と汗の結晶といってもいいのかも知れない。1913年には京義線から南満州鉄道、シベリア鉄道も連結され、ソウルからロンドン行きの乗車券も発売されたというから驚きだ。

 でも、韓国動乱で京義線は分断されたまま半世紀が過ぎたが、2003年6月に韓国の最北端の駅である「ドラサン」と北朝鮮の最南端駅である「開城」が開通、南北合作の開城公団も順調に進み出したと思ったら、例によって南北のイザコザが起こって京義線は昨年12月に中断されてしまった。合意には時間がかかるが、壊れるのは早い。

 ソウル駅から汶山駅までは快適な電車の旅で55分、そこで臨津江(イムジンガン)行きに乗り換えて「ドラサン」行きの手続きをした後、むかし流行った「フォーククルセーダース」の「イムジン河、水清く…」という歌を口ずさみながら、あまり水清くない臨津江を渡った。この河の上流では脱北者が決死の逃避行を繰り返している。志半ばで命を落とした人も少なくない。思わず心の中で手を合わせた。

 「ドラサン」駅は5万人の乗降客を想定した国際線用に作られた立派な駅舎で、南北交流にかける韓国の熱意が込められていた。でも人はまばらで寂しい。車両内や駅で見られる兵士の姿で、軍事境界線は目と鼻の先であることを認識させられるが、観光客には緊張の色は見えず、北のお土産を買うのに忙しい。本来はこれから北への旅が始まるのだが、夏の日差しを受けて白く輝いているホームには開城まで走っていたという貨車が一両ポツンと置かれているだけで静まり返っていた。

 開城と言えば約7年前に初めて開城の街を訪れた。郊外の山中にある名所「朴淵瀑布(パギョンポッポ)」では、李朝時代の名妓「黄眞伊(フアン・ジニ)」が書いたという漢詩が滝壷に張り出した大岩の上に残っていた。

 黄眞伊は最近のドラマや映画でその美貌と才媛振りが再認識されている。いつの日か京義線に乗って彼女に再会したいものだが…。

 その日の新聞では、前日、北朝鮮による7発の弾道ミサイル発射を報道していた。道は険しい。


  おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。04年4月、韓国双日に社名変更。