ここから本文です

2009/07/31

<随筆>◇「在日」という呼称に思う◇ 崔 碩義 氏

 最近、「在日」という呼称が盛んに使われるようになった。在日という本来の意味は、単に日本に住んでいるという言葉に過ぎないが、何時の間にか、もっぱら在日韓国人、在日朝鮮人を指す用語として定着した。これには民族として同根であっても、イデオロギー的に激しく対立して来た過去の歴史的事情が深く絡んでいる。こうしたことから、互いに納得できる中立的で、簡潔な表現として「在日」という表記が生み出されたと考えられる。かつてNHKもハングル放送を始めるに当たって、朝鮮語とすべきか、それとも韓国語にするかで大いに揉め、結局、苦肉の策として「アンニョンハシムニカ」で落着したという経緯がある。

 韓国社会の在日観を研究している聖公会大学の権赫泰教授によれば、韓国社会では「在日」を日本帝国主義の被害者ではあるが、今では民族意識に乏しく、言葉も殆ど喋れないところから「パンチョッパリ」だと見下し、軽蔑の対象にしているという。しかし、実業家として成功しているソフトバンクの孫正義氏、マルハンの韓昌祐氏、MKタクシーの兪奉植氏らには羨望の念を抱いている。また、学童たちに「在日」をどう思うかというアンケートをとったところ、何故か、白豚を連想するという答えが多く返ってきたという。こうした反応に深い意味があるとは思えないが、「在日」もずいぶん馬鹿にされたものだ。

 今では在日一世たちの多くは死に絶え、その苦難の歴史までが忘れ去られようとしている。果たしてそれでいいのだろうか。「在日」を取り巻く状況は確かに大きく変わった。殆どの「在日」はもはや日本に居住する以外に選択肢はなく、差別されながらも何とか日本社会の構成員として暮らしている。ところで、ここに来て日本国籍を取得しようという流れが強まって留まるところを知らないという。最近では、韓国籍の人を飛び越えて朝鮮籍の人たちの帰化申請者が急増しているというではないか。そのほか、帰化すべきかどうかでハムレットのように苦悩している同胞たちも結構いるようだ。今後、「在日」は一体どうなって行くのかと思うと心配でならない。我々はもはや「在日を如何に生きるべきか」という問題を避けて通れない時期に来ている。この際私の意見をいうと、やはり民族的アイデンティティーを大事にして、正々堂々と生きていくのが好ましいと考える。

 さて今度は、日本に帰化した韓国系日本人たちの未来について勝手な想像をしてみるのも悪くないだろう。きっと彼らは営々と努力して、そのうちに日本社会の様々な分野で、指導的地位を占める人が出てくることが予想される。

 以下は余談だが、そう遠くない将来、ひょっとすると、韓国系日本人の内閣総理大臣が出現しないとも限らない(かのオバマ大統領のように)。私は密かにそうなる日が訪れることを夢想している。


  チェ・ソギ 作家。在日朝鮮人運動史研究会会員。慶尚南道出身。最近の著書に『韓国歴史紀行』(影書房)などがある。