ソウルは以前はよく洪水に悩まされた。大雨で漢江があふれ、排水施設が十分でない低地帯はすぐ水浸しになった。記憶に残るのは一九八三、四年ごろだったか、大雨で漢江沿いのかなりの地域が水につかり、被災民がたくさん出た。あの時、北朝鮮が食糧(!)や薬品、セメント、毛布など救援物資を送ってきて話題になった。もちろんお得意の“政治的宣伝”だったが、それでも今を考えると隔世の感だ。薬品は使い物にならなかったが、コメは被災民に配られた。韓国が食糧に困っていたわけではない。しかし物珍しさから人気で、ぼくら外国人記者ももらってニュースにしたものだ。
当時、よく水害になった地域に漢江沿いの麻浦区望遠洞(マンウォンドン)がある。現在、地下鉄6号線の「ワールドカップ競技場」駅の一つ手前だ。今は大型排水施設があり水害から解放されている。ここからすぐ下流が「蘭芝島(ナンジド)」で、一九七〇年代から一九九三年まで十五年間、ソウル市のゴミ処理場になっていた。東京湾の「夢の島」の韓国版だ。
当時、「ナンジド」にはゴミをあさって生活している人たちがたくさん住んでいて、よくルポの対象になった。「漢江の奇跡」といわれた高度経済成長の表と裏というわけだ。知り合いの女性ルポライター柳在順氏に「ナンジドの人びと」という初期の作品があるが、彼女はそこでの住み込み取材で妙な病気にかかり苦労している。というわけで韓国人にとって「ナンジド」のイメージは決してよくなかった。「ナンジド」がゴミ処理場を脱してさらに十五年。一帯は高さ百メートル近い台形の丘になり、草木がおい茂る公園になっている。金浦空港や仁川空港からソウル市内に向かう際、漢江沿いに見える小高い緑の山がそうだ。しかし今や「ナンジド」といっても「それ、どこ?」と知らない人が増えている。
このあたりは行政的には「上岩洞(サンアムドン)」といい、二〇〇二年のワールドカップ・サッカーのメイン競技場で知られる。ソウル市民もこのころから「ナンジド」ではなくもっぱら「サンアムドン」というようになったように思う。
その後、「DMC(デジタル・メディア・シティ)」として開発、造成が進みつつある。すでにモダンな高層ビルや高層マンションが林立するニュータウンになっている。この「DMC」で先ごろ、新しいソウル日本人学校の起工式が行われた。江南区開浦洞からの移転だが、「DMC」を国際化したいソウル市にとっては大歓迎だ。新校舎は最先端のデザインで、来年九月の開校時にはさらに話題になりそうだ。
温故知新。ソウル暮らしが永くなったぼくとしては、こんな話を書き残しておくのも役目かなと思っています。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。