私がサハリン韓国人に関して調査を始めたのは1999年、永住帰国者の準備の真っ最中の時であった。半世紀もの間、住み慣れ、定着したサハリンに家族を残して帰国することは再び離散家族になってしまうという事実、そして生まれ故郷ではあっても長い間離れていた韓国での生活に不安を抱いている人が多い。私はその後、数年間、十数回往来しながら彼らの植民地歴史と戦後の生活状況を調べた。南の大泊港から北のオーハ港までいろいろな所でいろいろな人々に会い、聞きとり調査をした。
もともとサハリンは流刑の島であったが石炭、魚、森林の豊富なところとして日本が開発した。終戦直前は朝鮮半島の南部から多くの青年を強制動員して炭鉱などで働かせた。その人々が戦後帰る道が閉ざされて、ソ連時代、ロシア時代を経ながら根を強く深く下して生きている。私は彼らの生き方に感動した。特に花や野菜栽培に注力して産業として成し遂げたことに関心を持った。
ある日、ホルムスクへ行く途中に朝鮮人虐殺の記念碑を訪ね、犠牲者たちの冥福を祈った。戦争末期、当時樺太の真岡にソ連軍が進攻してきた時、この瑞穂村で、朝鮮人がソ連軍のスパイだというデマがとび、村の在郷軍人の日本人青年たちが中心となって同じ村の朝鮮人の老人、女性、子どもを含む27人を2晩で虐殺した事件があった。赤ん坊に乳を飲またいと申し出た母子も殺された。
その直後ソ連軍が犯人を逮捕して裁判を行い、死刑などを執行した。それはノンフィクション作家の林えいだい氏やロシア人によって知らされている。私は林氏と中村元紀氏からロシア語の裁判文書を大量にいただいて、翻訳を頼み、分析し、『樺太朝鮮人の悲劇:サハリン朝鮮人の現在』(第一書房、2007)を出版した。この事件は天皇の敗戦宣告の放送があったにも関わらず、ソ連軍がサハリンに侵攻し、交戦中に起きたのである。無法、無秩序の危機のアノミーとも言われる状況において人がどのように判断、行動するかは私の関心の的である。関東大震災の時にもこれに似た状況であった。そんな時、人はなぜ人を殺すのだろうか、常に疑問に思う。
朝鮮戦争の時、私は見た。警察も、憲兵もいない交戦中は武器をもっている軍人だけが相手を殺せる状況である。その時、軍人たちは人を殺し、性暴行をしたのである。私は多くの戦争映画にそのような状況の時、必ずヒューマニストが現れることを知っている。しかし実際にはそのような人間は現れにくい。私はそこから教育者として大きいメッセージをいただいた。無法、無秩序の状況でも正しく行動できるヒューマニストを作るのが私の使命のように思っている。
村山総理時代に永住帰国への動きがあって、その結果、永住帰国した二千人ほどの人が今、韓国の安山に住んでいる。戦争の傷は大きく、治療には長い年月がかかる。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。