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2009/10/09

<随筆>◇友愛政治◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 私は先日アフリカの先進国といわれる南アフリカ・ケープタウンの近郊で四万人の黒人難民村の中を歩いた。仮の小屋のような家が密集しているカリチャー村で韓国人牧師の韓氏が伝道している開拓教会を訪問した。ウガンダで宣教活動し、日に焼けて黒人に似通っている韓国人牧師にも会った。多くの韓国教会が海外にいる韓国人のために教会を建てて宣教活動するのとは異なって、人種も文化も生活習慣も違う異邦人社会で伝道活動をする姿をみて、宗教を超えて私の胸に訴えてきたのは人類愛であった。危険な難民村の中から暖かい愛情を感じたのは大きい収穫であった。私がアフリカの黒人社会に極めて普通に溶け込んでブラックパワーを感じた体験は貴重だと思った。

 在日の民族差別をもっているとも言われている日本で、鳩山由紀夫総理が友愛政治を提唱する。「友愛」とはきわめて宗教色の濃い言葉であり、政治家から聞く言葉としては意外な感がある。このことばは宗教家の伝道標語のようにも聞こえる。また儒教で人の守るべき五つの道(五倫)の中の「朋友の信」が浮かぶ。儒教において親への愛は孝行である。それは下から上への愛、つまり子供から親へ尊敬、崇拝が強調される。仏教的な慈悲は上から下への愛と強調される。キリスト教では隣人愛や友愛と博愛などを強調し、主張し、イエスはユダヤ人や異邦人への愛を実行したにもかかわらず、ユダヤ人とローマ政府によって十字架の処刑を受けた。

 社会心理学者のエーリッヒ・フロムは『愛の技術』で、愛とは熱愛という性愛だけではなく友愛を基本として広がること、隣人愛を意味するという。しかし「愛」とは美しいものばかりではない。愛には憎悪が潜在している。人を愛するということは殺される覚悟をしなければならないとも思われる。私が学生時代に読んだアメリカの心理学者であるカール・メニンガーの『愛憎』はその逆相関関係を述べていたのを未だに記憶している。日本は戦前に愛をイデオロギーとした「愛国心」などを利用して聖戦を行い敗戦した国である。日本国民は「愛」の危険性を体験したのである。現在日本では愛とは半タブーとされている。言葉と同時に愛情も消えたような日本社会に政治家の鳩山氏による友愛政治への提唱は新鮮さを感ずる。

 その友愛の淵源は宗教ではない。鳩山一郎がクーデンホフ・カレルギーの『自由と人生』(1952年)から強く影響をうけて構想した政治思想として鳩山由紀夫に伝えられているという。特定の目的を共有する仲間が国家や身分を超えて対等に結びつく原理でグローバル化していくことを友愛という。日本政府によって「友愛」が実現されることが期待される。それは一足早く韓国ではクリスチャンの李明博大統領の「隣人愛」と合わさって、さらにオバマ大統領の「イエス、ウィ キャン」の信の政治のハーモニーで世界がチェンジーしていくことを期待したい。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。