チョ・ヨンピルの名曲「トラワヨ~釜山ハンエ~♪」を歌い続けること苦節22年、遂にトラワッソヨ~釜山ハンエ~♪(釜山港に戻ってきたよー)。この空の色、海の匂い。懐かしいですねー。でも街の様子はかなり変わっている。地下鉄ができた。大型百貨店もできた。市内と海雲台を繋ぐ廣安大橋もできた。街行く人もどこか垢抜けている。22年ぶりだから変わって当たり前ですね。当時20代のアガシ(乙女)も今や40代のアジュンマ(熟女)。あの可愛いミス李は今ごろどこにいるやら 。
先日、うわさの新世界百貨店センタムシテイーへ行って腰を抜かした。ソウルでも見られないような近代的な百貨店が海雲台の近くにそびえ立っている。何でもギネスブックに公式記録として認定された世界最大の百貨店だという。建物の中にはスケートリンク、ゴルフ練習場にリゾート温泉まで入っている。
「こんなに大きな入れ物じゃ中はガラガラとちゃうか?」入ってみると、何とほぼ満員。隣にはロッテ百貨店も軒を並べており、「本当にここが釜山?」と思わず叫んでいた。
私がいた頃は百貨店といえば光復洞にあったローカル色豊かなユナ百貨店とミファダン百貨店だけだったが・・・いずれも消えてしまった。
当時は市内中央部の南浦洞、光復洞がもっとも賑わっていたが、今は繁華街が西面(ソミョン)地区から海雲台にかけての東部に移りつつあるようだ。ソウルの江南地区が目覚しい発展を遂げているように。でも南浦洞ブルースをこよなく愛して来た私としては一抹の寂しさを隠せない。知らない街へ来たような気分だ。あの懐かしい私の釜山はどこへ行ったのだろう?
ソウルの友人が来たので、南浦洞近くにある魚市場・チャガルチ市場に案内した。「ウワー、昔と同じやんか」確かに外見はきれいな建物に変わっているが中身はまったく同じ。新鮮な魚介と市場を飛び交う威勢の良いアジョシ、アジュンマの釜山弁。ソウルのノリャンジン水産市場とは一味違った地方の味が充満している。
早速、天然のシマダイにアワビとカニを奮発した。思ったより安かった。釜山の刺身には地元の焼酎「シオン」がよく合う。ほろ酔い気分の頭に22年前の記憶が徐々に蘇ってきた。私の釜山は残っていた。
「大西さん、昔と変わらないですね。ヘアスタイルも同じだし」釜山日本人会事務局の金次長さん(女性)に懐かしがられた。そう言えば当事、事務局の方(バン)局長の下にいた可愛い女性がミス金だった。方局長は2年前に亡くなられ、今は金さんが一人で取り仕切っているという。気になる頭髪を誉められるのは最上の喜びである。「でも、ちょっと寂しくなったでしょう?」「それも昔と同じですよ」「???」
おおにし・けんいち 福井県生まれ。83-87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月から新・韓国日商岩井理事。04年4月、韓国双日に社名変更。