子ども時代、韓国系のキリスト教会に通い、毎週韓国語を聞いていた私だが、それを学びたい、知りたい、という気持ちにはなれないままだった。
父方の祖母は電車で数駅離れた叔母の家に住んでいて、よく私の家にも遊びに来てくれたが、私達孫には日本語で話しかけてくれるのが常だった。たまに韓国語を使うと、両親は「そんなこと言ってもこの子にはわかりませんよ」と、逆にたしなめる、というふうだった。それでも祖母は、教会で同世代の方々と会話するときは韓国語だったし、たまに私達を座らせて一緒にお祈りするときも必ず韓国語だった。
その言葉を、私はただ、訳のわからないおかしな言葉だとしか思っていなかった。それは自分自身が強いコンプレックスを持っていたためでもあるだろう。
そんな私達に祖母が一度だけハングル文字を教えてくれたことがある。あれは小学生になってからのことだったろうか。祖母は私と妹の名前を、こう書くのだよと言って、ハングルで書いて見せてくれたのだ。マルと棒の組み合わせ。カタカナに似た字もあった。それをノートに何度か書いて覚えて、得意なようなうれしい気持ちになったことを覚えている。
私の友人には、子どものころハラボジがおんぶしながら「アヤオヨハラ。」(アヤオヨしなさい。)と言って、韓国語の五十音にあたる「アヤオヨ」を教えてくれた、という人もいるけれど、私の祖母には学問もなかったし、ただ私達の名前の書き方を教えてくれるだけで精一杯だったのではないか、とも思う。
この時、自分の名前だけはハングルで書けるようになって、でもそれ以上は何も学ぶこともなくまた何年もが過ぎた。
中学生になって、一九七〇年大阪万博の時、私はいとこに誘われて韓国パビリオンに入った。彼女に誘われなければ、韓国館に入ろうという気持ちは起こらなかっただろう。彼女は自分が韓国人だという自覚を持っている人だったのだ。そこで何が展示されていたのか、何を見たのか、ほとんど覚えていない。ただ一つ、ハングルを紹介するパネルに「あなたは四五分でハングルをマスターできます」だったか何だったか、そんなうたい文句が書かれていた。そしてハングルがローマ字と同じく子音と母音の組み合わせでできており、簡単に覚えることができるということも。
「ローマ字と同じ!」それはとても興味深いことだった。小学校でローマ字を習ったときは、授業の前日からわくわくしたほどで、私は楽しくその新しい文字を覚えたのだった。韓国語もあのローマ字と同じようにできているのか!それならおもしろそうだし、私もいつか勉強してみたい!初めてそんな希望が生まれた。そんな小さな興味は、でも日常生活の中ではすぐに埋もれてしまった。本当に勉強する機会を得るまでにはまだもう少し時間がかかったのである。
カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。京都大学大学院文学研究科東洋史学専攻、修士課程修了・博士課程学修退学。小学校非常勤講師。京都市人権文化推進懇話会委員。メアリ会(京都・在日朝鮮人保護者有志の会)代表。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)