ここしばらく大阪方面に行っていなかったので向こうの友人が心配して電話をくれ、急にマンナジャー(会いまっか?)ということになり、約3年ぶりにミニ同窓会という形で気のあった爺様、婆様が4月の9日に集まりました。8日に関空に入り、その日は簡単な夕食会、9日は初夏を思わせる暑さの中、芦屋川、夙川沿いの満開の桜のお花見としゃれこみ有馬温泉まで脚を伸ばして但馬牛、神戸牛の本場ものに舌鼓を打って何十年ぶりに日本での花見を満喫してソウルに戻ったのですが、桜といえば35年前のソウルでは昌慶苑公園の桜、30年前にSJC(ソウル・ジャパン・クラブ)の団体旅行で行った鎮海の軍港祭りの桜が今でも強く印象に残っています。(最近思い出話ばっかりだナァ)。
70年代の初め、長く寒い冬から解放された青春真っただ中の若人たち(私も含めて)の行くところといえば、昌慶苑(確か動物園だったと思うのですが 。その後昌慶宮に改称)、秘苑、南山と決まっており、その中でも桜の季節には昌慶苑が圧倒的に有名なデートスポットでした。私も言葉は分からないまでも何とか努力してチョルムンヨジャ(若い娘さん)を見つけては昌慶苑デートしてのめり込んでいました。もちろん総角(チョンガク、独身)時代の話です。花見をして当時の団成社、ピカデリー劇場などの一帯のビアホールで鶏の唐揚げと酢大根をあら塩で食べながら500ccのジョッキで生ビールを飲むというのが当時の若者たちの代表的な春のデートスタイルでした。チョンマルロ、クリプスムニダ(本当に懐かしいです)。
また韓国の生活にも少し慣れてきた80年代初めに当時のJV会(JOINT VENTURE=合弁会社)の春季旅行で鎮海の軍港祭りに行ったことがあります。確か釜山から馬山経由でのバス旅行で、馬山から峠を登りトンネルを抜けると突然眼下に鎮海市内が、桜のピンク一色に包まれた綿菓子のように現れて驚いたことを覚えております。並の桜ではありません。市内全てが桜のです。私は自分勝手に韓国三大景勝地を作っておりますが、鎮海の桜はその一つに十分入っております。後の二つは紅島の奇岩巡りと紅葉の丹陽八景ですが、これはまたいずれその季節に御説明いたしましょうね。鎮海の軍港祭りの期間は確か、恰好いい海軍士官学校の士官候補生の人が軍の内部の桜も案内してくれたと記憶しています。
このように「大阪行き」、「お花見」、「韓国の桜」、「若い頃」、と連想ゲームのように若い時代の想い出が浮かんできて取り留めのない文章を書きました。80年代の初めから今まで忘れたかのようにお花見をしていないことに気づき、時の流れは早く、人の命は桜のようにはかないものだと、感傷的になってしまったようです。
サクラーサクラー/ヤーヨーイーノーソーラーハー・・・。懐かしい歌ですね。
1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。