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2010/02/12

<随筆>◇北進先鋒(プッチンソンボン)◇  韓国ヤクルト共同代表副社長代行  田口 亮一 氏

 今年のソウルはまことに寒く、漢江(ハンガン)も厚い氷におおわれました。こりゃ「北進先鋒」の皆さんは大変なご苦労だナァと思い出したのが、このすさまじい題名のきっかけなのです。この言葉は去年の11月26日、利川(イチョン)方面にある第七機動軍団(各師団のほかにこういう軍団があることも知りませんでした)を訪問した時の、この軍団のスローガンだったのです。軍団創立が1967年らしいので、朴正煕大統領の執権初期時代、北朝鮮との対立が深刻化してきた時代ということで、このスローガンもクロックナァ(なるほどナァ)とうなずけます。

 元々うちの会社は30年位前から議政府(ウィジョンブ)にある第25師団とは姉妹血縁を交わしており、年に何回かの交流はあるのですが、この第七機動軍団はその師団を3つ位あわせた規模で、500万坪の軍敷地内(森に囲まれている)に5000人の軍人さんが日夜軍事業務に奮闘されていると聞いて驚きました。そして我社と軍団の関係はと言いますと、当社の総務担当のP理事さんの実のお兄さんが第23代軍団長に就任されたということで、このたびの表敬訪問となった訳でした。

 敷地内にある軍歴史館を巡りながら色々と説明を聞きました。利川に軍団が移動して来たのが85年ということで、それ以来、北が南に侵略して来れない3つの大きな理由として、①利川にはプデチゲ(部隊鍋:料理名)が多い②利川にはテッポチベ(鉄砲屋、居酒屋)が多い③我が第七機動軍団が存在する、と説明されたのには大笑いでした。

 歴史館に展示されている古い写真の中には旧式の高射砲や機動戦車が沢山ありましたが、軍団長さんの説明によると、朴大統領が「この高射砲は現代重工業に、この戦車は大宇実業に徹底研究をして必ず国産化を実現するように」と命じられたとのことで、時代の流れを痛感しました。

 さて大体見学を終えて午後5時半ころから、私が待ちに待っていた大歓迎会が司令部宴会場で総勢30名位で開かれました。山盛りのテジスユク(蒸し豚肉)と野菜、マッコリと焼酎、軍団長お薦めの南漢江名物ソガリ(コウライケツギョ)のフェ(刺身)、ソガリメウンタン(ソガリ辛鍋)で良い気持ちになりました。

 当社社長の挨拶に続いて私もお礼の言葉を述べたのですが、少し酔っ払っていたので、どうしても「ギドングンダングンダンジャン(機動軍団軍団長)」がスムーズに云えなくて「エーイ、ソンニャンコンジャンコンジャンジャン(マッチ工場工場長:韓国の早口言葉でよく使う)」とやってしまい失笑をかいました。

 それにしても厳寒、暴雪の最悪環境の中で、「北進先鋒」の言葉はやや違和感のある時代になったとしても、その心構えを忘れずに祖国を守る為に前線で苦労されている軍の方々には心から感謝をしたいと思いました。


  1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。