今は「タプコル公園」といっているが、ソウル鍾路二街(チョンノイーガ)の旧「パゴダ公園」の裏手は益善洞(イクソンドン)という。以前はこのあたりにはいわゆるキーセン料亭がたくさんあって、若いころはよく通った。
そんな料亭としては現在、「梧珍庵」しか残っていないが、その向かい側の路地の奥に「松庵」という料理屋がある。今でも看板だけはそのまま出ている。
いわゆるキーセン料亭ではなく、韓国料理専門の店だ。元はよく知られた店で、各界の名士たちがよく出入りした。今は主人が変わって料理も特色がなくなったが、元はソウル生まれの品のいい年配の女主人がきりもりしていた。そして彼女が自らつくるソウル料理が評判だった。ソウル料理とは珍しい?
今でも思い出すのは多彩なキムチとチャンアチ(野菜の醤油漬け?)で、唐辛子や塩辛などを使わない、実に上品でまろやかな味の“漬けモノ”だった。「なるほど、これが都の味か 」と感じ入ったことがある。
この「松庵」に行くと、女主人がかならず弟の話をしてくれて、初めての客には弟が作曲したという歌のカセットテープをプレゼントしていた。ぼくも何本かそのテープをもらった。弟は何年か前に脳卒中で倒れ寝たきりといっていた。
その“弟”が先ごろ亡くなった。作曲家の朴椿石氏で享年七十九。生涯で二千七百曲もの大衆歌謡を作曲し、多くのヒット曲を生んだ。戦後(解放後)の韓国においてもっとも人びとに愛された作曲家だったといっていい。韓国のマスコミはその死を悼んで大々的に報道していた。
彼の作品の中でぼくが選んだベスト3は『雨の降る湖南線』『カスマプゲ』『島の村の先生』だ。
最初の歌は、韓国演歌のキーワードである「南(全羅道のことを湖南という)」を舞台に列車、愛、別れ、涙、雨、青春 などをちりばめた懐メロの名曲である。とくにあの前奏は何回聞いても「カスム、チーン(胸キューン)」である。
二番目は「心がうずく」というか「切ない」といった意味だが、これは一九七〇年代に李成愛が日本で歌い、日本で初めてヒットした韓国演歌の記念碑的作品でもある。海をはさんだ愛と別れの歌で、キーワードにカモメもちゃんと登場する。
三つ目は演歌の大御所・李美子のヒット曲。朴椿石氏はとくに李美子の歌を多数作曲したことで知られる。「海棠の花が咲いては散る島の村に 」ではじまるこの歌は、スローテンポで情緒たっぷりの“李美子エレジー”の代表曲として今に歌い継がれている。
朴椿石氏は一九七八年に美空ひばりの『風酒場』も作曲しているというが、あれはどんな歌だったかな。聞けば思い出すかも知れない。
『松庵』からソウル料理が消えたのも寂しいと思っていたのに 。合掌。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。