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2010/05/14

<随筆>◇高校生の頃◇  康 玲子さん

 五年間勤めた小学校での職を辞し、この春から、やはり非常勤講師として高校で「国語」を教えている。高校で働くことはかねてからの希望だった。

 高校生活は、人生の中でももっとも密度の高い、充実した季節ではないだろうか。実際高校生達は忙しい。勉強はずいぶんと難しくなってくる。国語、数学、英語、社会、理科、・・・・科目数も多い。それに「国語」だけをとってみても、現代文、古文、漢文と、中身は広く深い。他の科目も同様だ。大人だって、これだけのレベルの勉強をこんなにたくさん一度にするのは大変だろう。その上に部活動にも大きなエネルギーを費やす。恋もする。おしゃれに身をやつす。友達と遊ぶ時間も必要だ。ああ、時間がないと言いながら、でもやっぱり若いから、力がある。いろんなことを、なんとかこなしてしまうのだ。

 私にもそんな高校時代の思い出があって、それについては拙著『私には浅田先生がいた』に書いたけれど、それにしても、忙しい高校生活の中に韓国語を学ぶ時間がほんの少しだけれどあったということが、今思い返してみてうれしい。

 一九七〇年代、神戸で私の通った高校には「朝鮮文化研究会」という小さな集まりがあった。私が二年生の夏、すでに卒業していた先輩が遊びに来て、後輩である私達(二、三名)に、韓国語を勉強したいなら、夏休みに学習会を開いて教えてあげると提案してくれた。そしてハングルのそれこそ子音と母音だけだったけれど教えてくれたのだ。

 それは本当にほんの数回の学習会で、テキストも教材もなく、ただ黒板に文字を書いて教えてもらう、というものに過ぎなかったけれど、私はうれしかった。大阪万博の韓国パビリオンで知った「ハングルは子音と母音の組み合わせでできている合理的な文字だ」ということを、初めて実際に具体的に学ぶことができたのだから。それは「自分は何者なのか」という問いの前で立ちすくんでいた私に、新しい扉がここにあると知らせてくれるものでもあった。

 当時大学生だった先輩が、夏休みとはいえやはり貴重な時間を割いて私達のために教えに来てくださったというのも、今考えると稀有なことだ。なんのトクにもならないことなのに、・・・・でも逆に、それでも情熱を傾けてしまうほどに、韓国語の勉強は大切なことなのだと、教えられていたのかもしれない。

 翻って私の三人の娘達は、今年末娘が大学生になり、もう皆高校時代を終えてしまった。やはりそれぞれに忙しい高校生活で、韓国語の勉強もしてみたいわぁ、と言いつつ、結局そんな余裕もないままだった。あの頃の先輩のような役目を果たせなかったことは、恥ずかしくもあり、申し訳なくもあるが、今からでも遅くはない。季節は春。四月開講のNHKハングル講座を録画して勉強したいと言う娘を、今度こそ応援したいと考えている。


  カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。京都大学大学院文学研究科東洋史学専攻、修士課程修了・博士課程学修退学。小学校非常勤講師。京都市人権文化推進懇話会委員。メアリ会(京都・在日朝鮮人保護者有志の会)代表。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)