先日、韓国全羅南道の長興(チャンフン)、康津(カンジン)、海南(ヘナム)などを旅行し、広い茶畑をみた。私にとってその広い茶畑は異国的な風景であった。なぜなら韓国ではお茶文化がないからである。アジアには茶文化が広く存在しているのに朝鮮半島だけにはそれが抜けている。しかし韓国でも古代から仏教が隆盛であった三国時代、高麗時代には茶文化が一般的に普及していたが、朝鮮王朝になると儒教を国教とし、仏教文化の茶文化を禁圧して消滅させた。お茶を奉げる仏教儀礼の「茶礼(チャレ)」を禁じ、酒を奉げる献杯の儒教「祭祀」を奨励した。しかし儒教の祭祀の名前は未だに「茶礼」とよばれ、儒教祭祀の供物の「茶食(チャシク)」も元来お茶文化の茶菓子である。
長い間のお茶文化が李朝の「崇儒排仏」政策で完全に消えたわけではない。李朝中期の学者の丁若鏞(1762~1836)は茶から酒への変化に抵抗を感じ、別名を「茶山」と称して、「茶を楽しんでいる民は栄えて、酒を楽しんでいる民は滅びる(飲茶興飲酒亡)」と言っている。彼はカソリックの天主教に関心を注いでいたが、尹志忠などが母親の葬儀を儒教式で行なわず天主教儀式で行ったことで処刑された鎮山事件の余波により天主教会への辛酉迫害が起きた。丁若鏞と彼の次兄は死刑から島流しに減刑され、18年間島流しの生活をした。彼は流配地である全羅道の康津の草堂にて研究し《牧民心書》などの名著を出した。
私が1960年代に文化財管理局から依頼を受けて茶文化を調査した時は、数か所の寺の坊さんたちが若干栽培しているだけであることが分かった。韓国では一般的に飲茶よりはコーヒーの普及が盛んになり、「茶房(タバン)」と言われてもコーヒーショップを指すものである。喫茶店の茶房には高麗人参茶、紅茶、双和茶、ユルム茶などのメニュがあるが圧倒的にコーヒーが飲まれている。
私は十回ほどこの茶山草堂を訪ねているが、この度の旅は韓国お茶文化の根源を探り、大きいメッセージを得た旅であった。茶山が島流しされながらも学問に集中し充実した人生を歩んだことを覚え、そこを訪ねて何か元気づけられる修道僧のような気持になる。「茶山草堂(チャサンチョダン)」の堂内には小学生たちがいっぱいおり、古い書堂の生徒の服装に着替えて座って漢字を朗読する体験学習をしていた。韓国民族の生活の中で綿々とその命脈を維持してきたはずの茶文化を韓国の伝統文化として意識し、お茶の名産地として観光化、町おこしに成功している。パンソリの名所に行く山道から見下ろす茶畑は広い。お茶文化の復興を望んだ茶山の夢が現実化されたように感じた。
私は一行の前に立って自分の人生論を語った。われわれはそれぞれある意味では島流しされているような難境を生きているのかもしれないと前提にし、「人(在日)は島流しの如く故郷を離れても与えられたその場(日本)で生きる道がある」と「茶山草堂」のメッセージがあると言った。同行した人たちはそれぞれ頷いていた。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。