「昔、俺が夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。親爺は胸焼けで、お袋はしもやけだった。ワッかるかナァー」 これ一発で一生飯を喰った漫談家の松鶴家千とせの迷フレーズです。
この言いかたでやりますと「俺がビビン冷麺だった頃、弟は冷やし中華だった」ということになりますか。ビビン冷麺とは一般的に「冷麺」と呼ばれる「水冷麺(ムルネンミョン)」に対して、動詞ビビダ(混ぜこねる)の変化形をつけたビビン冷麺のことで、これはムル冷麺みたいにスープとしてのつゆがなく、つゆを「たれ」として扱った相当辛いもので、韓国では最近は省略して「ビネン」と呼んでいますので今日はそれで通します。
もともと私は戦後引揚げてから米が喰えない時期にコーイ(殆んど)メリケン粉で育ってますので麺類、餃子などのマンドゥ(饅頭)類は大好きなのです。閑話休題ですけど皆さん、メリケン波止場とかメリケン粉の「メリケン」が「アメリカン」がなまった言葉だと云うこともアシゴケショッソヨ?(御存知でしたか)。
さて、何年か前にこのビネンが有ることを知り、クッテプト(それ以来)このビネンにはまっています。真紅辛味噌加味三杯酢と云うような「たれ」をたっぷりと麺の上にかけて、「オロンソヌロ ビビミョ、ウェンソヌロ ビビミョ(右手で混ぜて、左手で混ぜて)」と歌いながら混ぜ終わるともう大丈夫です。キュウリの細切り、薄く切った大根、豚肉チャ-シュー、ゆで卵半切り、そして黄辛子とくるとオロロッ、これは日本の冷し中華とコーイ タルマッスムニダ(殆んど同じ似ています)。ただ麺自体は材料が違いますから、まったく似ていませんが、味と雰囲気はそっくりですね。
ところで冷し中華なるものは、トデチェ(一体)いつ頃から日本で出まわったのか、はっきりした記憶はありませんがそう古いことではありません。一方ビネンのほうは韓国のいろんな人に確認したところ、やはり李朝時代には有ったということですから、麺自体は各々好み変えがたく、そのままで味・中身をそっくりビネンから頂いたというのが冷し中華の生い立ちでしょう。
タラソ(従って)必然的に韓国のビビン冷麺が日本の冷し中華のヒョン(兄貴)になるという、韓国の人が聞いたら泣いて大喜びの結論が出てきた訳です。しかし日本に帰るとムルネンミョンにしろビビンネンミョンにしろ専門店もないし、これだけを食べることが出来ず、必らず焼肉店とか韓国料理店で肉などを食べた後に食すものと位置づけられているので、ヤッカン(若干)不便です。
今度日本に帰った時に焼肉店に入って焼肉関係は一切注文しないで冷麺だけ食べて帰って来ようかなと考えていますが・・・。ク ヨンキヌン オプスムニダ(その勇気はありまっしぇん)。
1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。