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2010/08/06

<随筆>◇"イモ"が大好き◇ 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長

 一九八〇年代の初め、韓国プロ野球の草創期に活躍した韓国系日本選手に福士投手がいる。日本籍の在日韓国人で、日本では南海や巨人にいたが、広島カープで花が咲き主戦投手になった。韓国では張明夫といい、弱体の三美スーパースターズをひとりで背負って投げ抜いた。チームの全試合の半分近くに登板し、年間三十勝というのは今なお韓国記録として破られていない。

 日本で生まれ育った“日本人”だったから、韓国に溶け込むのに苦労した。それでもやがてチームメイトとも仲良くなり「“ヒョンニム!”と呼ばれるようになった時はこれでだいじょうぶ、と思った」と、インタビューで語ってくれたことがある。

 「ヒョンニム」は「お兄さん」の意味で、福士からすれば親しみをこめて「兄貴!」といわれたという感じだろうか。韓国では親しくなると血縁的呼称をよく使う。家族や兄弟姉妹と同じということで、それほど親しい関係というわけだ。そうした呼称は日本でも「アニキ!」とか「ちょっとオネエさん!」のように使うが、血縁社会の韓国ではすこぶるひんぱんだ。

 韓国にやってきたころ、女性たちがしょっちゅう「オンニ」というのに戸惑った。これは姉妹関係の女性が姉にいう呼称と聞いていたので「韓国にはずいぶんお姉さんが多いなあ?」と不思議に思った(弟からする姉はヌナという)。もちろん後になって、ほとんどは単に年上の友人のことで、実の姉さんは「チン(親)オンニ」というと分かったが。

 血縁呼称は親しみの表現ということで、ボクも「オンニ」を愛用している。お店などで女性従業員にはもっぱらこれでやっている。以前は若い場合は「アガシ」中年以上は「アジュモニ」だったが「オンニ」の方がはるかに反応がいいのだ。本来は男がいう呼称ではないし、まして年下への呼称ではない。ところがそれを年輩の男がいうことで、可愛さと親しみがぐっと出て、かつ喜ばれるのだ。経験的に間違いありません。

 ところが最近、さる焼肉屋で若いサラリーマン風の客が店のアジュマ(オバちゃん)にしきりに「イモ!」というのに出くわした。「イモ」とは母方のおばさんのことで、父方のおばさんの「コモ」とは区別している。

 その女性従業員が近くやってきたので「あの客はしきりにイモといっているけれど、親戚かね?」と聞くと「いやあ、単なるお客さんですよ。男の子にとっては親戚ではイモがいちばん親しいじゃないですか」と笑っていうのだった。

 なるほど「イモ!」という際のどこか甘えた感じがいいんですねえ。これは使える?

 しかしボクはいまだ言い出せないでいる。若い男ならともかく、オジサンでもいっていいのだろうか。年をとってもイモはイモなはずなのだが。


  くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。