韓国の某博物館で2013年に開催される「朝鮮通信使」特別展に協力することになり、にわかに朝鮮通信使の歴史に関して勉強することになった。しかし奇縁とも言うべきか、私が下関に来て間もない頃、06年12月に喜多川歌麿作「朝鮮通信使」見立て絵と出合ってマスコミを騒がせたことがある。下関在住の所蔵家中川邦彦氏から絵を預かり、鑑定した結果、この版画がアメリカのボストン美術館に展示されているものと同じもので、日本では唯一の本物であり、朝鮮通信使行列の見立て絵であることにまちがいないという。その後、我が家に保存していたが、広島県の下蒲刈朝鮮通信使史料館に寄贈することになった。
その朝鮮通信使の主賓は朝鮮王朝の朝鮮人であっても、接待を受けた現場は日本社会であり、日本人が主役、朝鮮通信使文化は日本の歴史、日本文化である。行列図の多くは日本人の観察によって描かれたものである。描かれた朝鮮人も日本人のような姿に似て描かれたものが多い。それは見た後に記憶によって描いた、記憶の曖昧さによるものかも知れないと思う。毎年韓国から通信使行列が来ているが決して一方的な行事ではない。今度の展示が日韓交流とも総合的なものになって欲しい。その日本側の資料を韓国で展示するということはパフォーマンスの行列から一層深化していくこと、実にタイムリーな国際交流に相応しいものと思う。
通信使関係の資料は全国的に散発しているが、主な資料は大阪歴史博物館、佐賀県名護屋城博物館、下関の長府博物館にある。途中乗り換え、単線の鉄道でまる一日かかって名護屋城博物館に行って通信使行列図など原作を見た。新井白石と雨森芳洲の朝鮮通信使をめぐる外交政策の対立の文献があって面白い。前者は雨森芳洲との間で意見の違いがあったという。白石は朝鮮国王と徳川将軍を対等とする意見であったが、後者は日本の天皇と朝鮮国王が対等と考えていた朝鮮の気分をそこね、朝鮮との貿易での利益が得られなくなると判断したという。つまり内政と外交の対立の意見であろう。この対立はいつの時代でも繰り返される普遍的なものであろうと思った。
翌日、私の住む下関の長府博物館では館長の善意により多くの貴重な資料を拝見した。行列図には絵とともに説明が書かれていて、当時の状況が分かりやすい。まだ誰も分析していないと聞いて意外な感がした。
中でも私の目を引いたのは通信使としてこられた人が描いた絵で、箒を立て、じっと考えている姿はロダンの思索する人像とは対照的な朝鮮人を表現したものであると感じた(写真)。
三日目には寄贈された「辛基秀コレクション」が所蔵されている大阪歴史博物館を訪ねて担当者と打ち合わせをした。写真のない時代の行列図がまさに「絵のように美しい」。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、文化広報部文化財常勤専門委員、慶南大学校講師、啓明大学校教授、中部大学教授、広島大学教授を経て現在は東亜大学教授・広島大学名誉教授。