先日、このコラムで崔吉城教授(下関・東亜大学教授)が、韓国で最近、恋人や夫婦、先輩・後輩などの間で女性が男性のことをしきりに「オッパ」と呼んでいるのが気になる、と書いておられた。
そしてその背景について、韓国には「男女七歳にして席を同じくせず」という儒教倫理があるため「恋人を兄と呼称することで男女関係に対する周囲の冷たい視線を逃れようとするものではないか」と解説しておられた。なるほど文化人類学者らしい指摘だ。しかし大先輩に失礼を承知で書けば、それはちょっと違うのではないだろうか。
僕の韓国での生活体験からすると、「オッパ」に先立ち一九七〇代後半から八〇年代にかけては「チャギ」が流行った。漢字の「自己」だが、初めてこれを耳にした時は、日本でも関西方面では相手のことを「自分」というから、さもありなんと思った。
しかし「チャギ」は男女双方が使い「オッパ」より親密度が強い。「オッパ」は一九八〇年代後半からで「チャギ」より使用範囲が広く、より気楽である。
僕は儒教倫理というより、背景はむしろ韓国社会の民主化だと思う。男あるいは夫や男の先輩が女性によって、親近感のある「オッパ」つまりお兄さん、お兄ちゃんに格下げされ、身近に引き寄せられたのである。
一九八〇年代末以降、韓国社会には民主化による変化がたくさんある。その一つが呼称なのだが、たとえば今、若い女性に「アガシ」というといやがられる。昔は良家のお嬢さまの呼称だった。それが大衆化、一般化し、飲み屋のホステスの呼称にまで格下げされたため(実際はホステスをはじめ若い女性の格上げだったのだが )、逆に接客業呼称みたいといって、普通の若い女性から嫌われるようになったのだ。
では何といえばいいのか。接客業でよく見かけるのは、人に対する呼称ではない「ヨギヨー」とか「チョギヨー」といった「ちょっと、こちら 」といった感じの言葉だ。
しかしぼくの愛用語は、以前にも紹介したが「オンニ」である。元は女同士で姉にいう言葉だが、これを女性にいうと若くても年輩でも喜ばれる。とくにおじさんがいうと親近感が出ていい。相手が男だとどうするかだって?これはぜんぶ「アジョシ(おじさん)」で大丈夫だ。民主化で使わなくなった呼称に「ミスター」「ミス」がある。「ミスターパク(朴)」とか「ミスキム(金)」など一時はカッコよく、歌の文句にもなるほど全盛時代があったが、今や蔑称に近い。姓だけの言い方だから「なぜ名前まで言ってくれないのか」と、機嫌が悪いのだ。
ある懇ろの女性から「じゃあ、あなたはどう呼ばれたいの?」というので「もうオッパの歳ではありません。やはりチャギがいい」と甘えておきました。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。