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2011/06/10

<随筆>◇マジマク(最後)原稿、クリゴ(そして)カムサムニダ◇                                     韓国ヤクルト共同代表副社長代行  田口 亮一 氏

 イヤーッ本当に最近は思いもよらない出来事が何の前ぶれもなく突然起きるので困惑しております。

 6月1日水曜の朝、いつものように5時起床して、WALKINGに出発しようと洗面を開始、いつものポルシ(くせ)で鼻を左右別々にかんだところ、左鼻孔から鼻血がピュッと出ます。慌ててティッシュでふさいで、今までも時々ありましたから5分もすれば止まるだろう位に考えヒゲも何とか剃り終えましたが、案に相違して止まりません。

 こりゃいかんと思いソファにひっくり返って鼻孔を上にしていますと止まったような気がして起き上がるとドバーッと流れ落ちます。この頃になり家人が起きてきて「クニルナッタァーッ(大変だーッ)」。幸いなことに会社の関係病院が近くにあるので8時30分に訪問することにして、この時点では専門科ではないが内科だから鼻血の止血ぐらいはすぐに出来るだろうと考えていたのです。

 応急処置をしてもらい会社に行っても止まらない。

 午後2時家人より「耳鼻咽喉科へ行ったらァ」と電話があり、すぐさま江南区庁近くの車(チャ)医院にスッ飛んで行きました。しかしソウル市、特に江南にはいわゆる「成形外科(整形ではない)」、「歯科」は沢山ありますが、「耳鼻咽喉科」は本当に少ない。午後の部診療開始で、もう5人位が待っている。私も少し上向き加減に座っていたら先に来ていた「大阪の小母ちゃん風」アジュンマが私の口ヒゲなどでイルボンと判断したらしく「お国の地震はどないだっか?オメ鼻血が出てまんのか?そりゃ不便だっしゃろ。一番にやってもらいなはれ」などと非常に好意的な発言。

 やがて、受付にいた年配の看護婦さんが一番目待機中の若い男性に「この人(私の事)鼻血が出っ放しやから先にやらしたりィー」と強引に私を案内してくれました。若い男性は怒るでもなく文句を言うでもなくカマニイッソスムニダ(泰然としておりました)。

 この光景は1970年代初めの頃、バスの中で座っている人が荷物を持っている人から無言でひったくるようにその荷物をとりあげ、両者我関せずの態度をとっている光景に似ていて、私は韓国社会の良い意味での大らかさが未だ残っていることに安心し感動いたしました。

 ちなみに鼻血大量出血の原因は鼻孔に無数にある毛細血管の中、比較的大きいものが破裂したとのことで、10分位の止血治療で無事に止まりました。

 さて私は最近昔とくらべて何事にも興味がわかないし、あまり感動もしなくなり、文章を書く意欲もないという「ないないづくし症候群」に陥ち入り、このへんが自分の感性の打ち止めどころと自覚いたしました。オチェトン(いづれにしろ)かれこれ20年近くも貴重な紙面を提供していただいた貴紙には深く感謝いたしております。


  1943年満州国生まれ。東京都立大学人文科学部卒。69年ヤクルト入社、71年韓国ヤクルト出向。94年から同社共同代表副社長代行。