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2011/07/08

<随筆>◇安 宇植(アン・ウシク)先生、ありがとうございました◇ 呉 文子さん

 昨年末の十二月二二日、安宇植・桜美林大学名誉教授が療養中の病院で静かに息を引き取られた。亨年七九歳。先生は文芸評論家として、また翻訳家としてめざましい活躍をなさった方である。評伝「金史良―その抵抗の生涯」をはじめ訳書は四十冊にのぼり、特に尹興吉の「母―エミ」(日本翻訳出版文化賞を授与)や申京淑の「離れ部屋」は高く評価されている。親交の深かった南雲智・桜美林大学教授は、「先生の訳文によって、原作以上に豊穣な小説世界が次々に生まれていった」と業績を称賛されている。

 一昨年、拙著『パンソリに想い秘めるとき』の出版記念会では、先生から温かい祝辞をいただいた。その折に、「出会いはセーラー服姿のころから…」とおっしゃっていたが、振り返ると、半世紀以上も前になる。私が音大を目指していた高校三年生のとき、父を訪ねていらしたのが、長いご縁のはじまりとなった。

 同人誌『鳳仙花』の創刊は91年、先生には長い間顧問として支えていただいた。先生の励ましがあってこそ今日まで継続したのかもしれない。特に記憶に残っているのは、『鳳仙花』二十号を記念して、韓国文化院との共催で、「日韓をつなぐ文化交流のつどい」を開催した時のことである。

 先生は、『鳳仙花』の創刊からの歩みをたどりながら、在日女性と日本女性の言葉の活動がどのように共鳴し合ったかについて話された。また在日女性の文章発進の場となり、寄稿者の層も一世から三世までと幅広く、各世代のエネルギーが『鳳仙花』で一つになったこと、つづけて多くの在日女性や日本の女性たちに文章表現の機会を提供してきた唯一の雑誌であると高く評価され、長く続けていってほしい、と講演を締めくくられた。

 あれは一九九四年、「山の上ホテル」だったと記憶しているが、「集英社」主催で伊集院静氏が『機関車先生』で柴田錬三郎賞を受けられたときの祝賀パーティーに、作家の金真須美さんと一緒に誘ってくださった。同年、短編小説『贋ダイヤを弔う』で第十二回大阪女性文芸賞を受賞し、作家デビューしたばかりの彼女に刺激を与えたいと思われたのかもしれない。翌年の一九九五年、金真須美さんは『メソッド』で第三十二回文藝賞優秀作を受賞したが、そのときにも、「在日の新しい女性作家誕生だ」と、在日コリアンの両義性について書き続ける彼女の作品に、とても期待を寄せていた。先生のご活躍を新聞などでよく目にしていた頃だから、文学者として最も成熟期を迎えていらしたころだろうか。

 今秋『鳳仙花』は二十周年を記念して、集いを開く予定である。長年小誌を励ましてくださった先生をお招きして、一言お礼を申し上げたかった。

 「在日」文学の発展のために、また日・韓の文学の架け橋としての役割を一身に背負っていらした安先生、長い間ありがとうございました。合掌


  オ・ムンジャ 在日2世。同人誌「鳳仙花」創刊(1991年~2005年まで代表)。現在在日女性文学誌「地に舟をこげ」編集委員。著書に「パンソリに思い秘めるとき」(学生社)など。