ぼくの初期の韓国レポートに『韓国を歩く』(集英社、1986年刊)というのがある。『韓国を読む』とペアになっていて、故尹学準先生、関川夏央氏と3人の共著で、一九八八年ソウル五輪を前にしてのいわば“第一次韓国ブーム”に合わせた韓国紹介本の一つである。
いずれも三人による鼎談を柱に、そのほか当時の韓国通のみなさんの各種エッセイを収録したものだが、鼎談では韓国の田舎回りの面白さが語られた部分がある。
その部分でぼくは当時の若い日本人の旅行スタイルに触れ「やはり長いズボンをはいてほしいですねえ。だから、韓国ではあんまり肌を出してほしくない。特に田舎では」と語っている。ほかの二人も同感だった。
この話はやはり同じ年に出版した『韓国人の発想』(徳間書店刊)で詳しく論じている。韓国の田舎で社会調査にあたった日本人学者が、川で汗を流した後、しばし上半身裸で田舎道を歩いていたところ地元の人にひどく叱られたという経験談などを紹介し、「伝統的に韓国では人前で肌を露出することはよくない」というのが結論になっている。
韓国では背景に儒教的礼儀観があるようで、日本では南方的な生活習慣のせいか肌の露出にそれほど社会的抵抗感がなく、そのため日本人に対し韓国では「礼儀知らずの野蛮人」として、伝統的に優越感があったという話の展開だった。
こんな昔話を思い出したのは、韓国の今年の夏が「太もも全盛時代」だったからだ。ぼくはソウルの若者街に住んでいるので毎日それを実感している。学生街のみならず、繁華街でもターミナルでも、都市でも田舎でも、韓国いたるところ短パンや超ミニのホットパンツの「太もも娘」たちであふれている。
いや、日本でも人気の新韓流スター「少女時代」や「KARA」などだって“太もも娘”ではないか。
ひょっとすると彼女らの“太もも人気”が街に反映しているのかもしれない。最近の“太もも現象”はフアッションつまり流行なのだが、今やぼくのような日本人のハラボジ(お爺さん、イヤな言葉ですねえ )が逆に韓国人を叱りたくなる露出ぶりなのです。
韓国社会が肌の露出を気にしなくなったのはいつごろからだったか。とくに女性が。質実剛健の朴正煕時代が終わった八〇年代以降だったか、あるいは九〇年代以降の、女性が威張りだした(?)いわゆる民主化以降か。『韓国人の発想』はもう四半世紀前の著書だが、書き直しの新版が必要ですね。
韓国での“太もも流行”はそれだけ韓国女性が美脚だからだろう。それを誇示しても様になっている。ただ、その“太もも娘”たちが、スターバックスやロッテリアの椅子であぐらをかいたり立てひざして召し上がっている姿は、あまりに韓国的でいかがなものでしょうか。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。