2年足らずで一旦、釜山を離れることになったが、一番辛かったのは「広安里の別荘」との別れだった。築30数年の老アパートだが、13階の部屋から眼下に見下ろす広安里の海は絶景だった。キラキラと輝く波間にカルメギ(カモメ)が乱舞している。夜になると目の前の広安大橋(ダイアモンド・ブリッジ)が虹色にライトアップされて幻想的な世界が現れる。「ザザーッ」。窓辺でワイン片手に一日の疲れを癒したオジサンは、波の音を子守唄代わりに眠りについた。まるでリゾートに住んでいるような毎日だった。
「別荘」を引き上げた後、南浦洞のPホテルにわらじを脱いだ。ここは私が初めて釜山に駐在した80年代にお世話になったホテルで、当時の思い出がいっぱい詰まっている。その頃、市内で人気のあったSホテルとRホテルは、西面や海雲台にできた大型ホテルの煽りを受けて今は無残な残骸を晒しているが、Pホテルは昔のまんまで頑張っている。取っ手の大きなキーやスリッパまで同じ。部屋はアパートと同じ1301号室だった。なぜか13という数字が最後まで離れない。
仲のよかったアン支配人がまだ健在で笑顔で迎えてくれた。20数年前にタイムスリップしたような気分だ。フロントにいた可愛いミス・シンは 、さすがにいなかった。とっくに嫁に行ったという。当然とはいえちょっと寂しかった。
夜遅く、ホテルの前にある釜山最大の魚市場・チャガルチ市場に乗り込んだ。「オソセヨ!」(いらっしゃい)。店は近代的なビルに変わったが、威勢のいい売り場のアジメ(おばさん)は昔と変わらない。深夜というのにほぼ満員だった。奮発して好物のウニとアワビを注文した。ウニは殻つきで磯の香りが充満している。最近発売の地場の焼酎「チュルゴウォ・イエ」が乾いたノドに心地よい。20数年の間に釜山もずいぶん品が良くなったが、チャガルチ市場は昔の風情が残っているので嬉しい。隣のちょっと訳ありそうな中年のカップルがいい雰囲気に出来上がっていた。これからどこへ行くのかな?
今回の釜山駐在でもいろんな出会いに恵まれた。日本大好きのP病院長は日韓人のモイム(集まり)をいくつも主催し、毎晩、得意の日本演歌を披露してくれた。D大学教授の酒豪Lさんとは酒の席で日中韓人材バンク立ち上げを約束した。
韓国大好きの日本人も多い。定年後の余生を楽しんでいるWさんにSさん。韓流男子をゲットして地元大学で教鞭をとるMさんやHさんはまだ若いがたくましい。韓流女性を伴侶に選んだ日本男児も少なくない。釜山では草の根レベルの日韓交流が確実に進んでいる。
「みんなで見送りに行くわよ」行きつけのスタンドバーの美人ママの言葉を信じて、翌日、金海空港の柱の陰をくまなく探したが 誰もいなかった。
おおにし・けんいち 福井県生まれ。83―87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月新・韓国日商岩井理事。09年10月より韓国TASETO専務理事。2011年9月よりマッカン・ジャパン代表。