「Yさん?やっぱりそうや。変わりませんね」「大西君やろ。すぐ分かったで」。年のわりに豊かな髪をかき上げながらYさんは特徴のある広島訛りで応えて来た。「オーッ!君か?」隣にいた年配の紳士は確か昔の上司のEさんだ。もう80歳はとっくに超えているはずだ。ここは奈良県大和西大寺駅。元の勤務先の広島支店OBの集まりに初めて参加した。私は入社間もなく広島勤務となり、同地で青春時代を過ごしたが、その後は東京や韓国勤務が長いので皆さんに会うのは本当に久しぶりだ。さらに驚きは女性も含めて参加者全員が私より先輩で、今回は何と私がマンネ(末っ子)だった。
「Kさんは来ないの?」独身主義のK先輩に会うのを楽しみにしていたが姿が見えない。「食道がんで来れなくなった。食事もできないそうや」「Wさんも白血病で大変らしいよ」「俺も前立腺の手術をしたが早期発見で助かった。もっともあれはダメになったけどね」皆さん年配だけに深刻な話が飛び交っている。
広島OB会が奈良で集まったわけは、今回の幹事さんが奈良住まいで「古都散策」を計画したからである。奈良は韓国にゆかりの深い都である。「奈良」の語源は韓国語で国家を意味する「ナラ」から来たことはよく知られているが、百済から仏教が伝来して最初に作られた寺が奈良の「飛鳥寺」で、建立の時には百済の多くの僧や技術者の援助を受けている。ちなみに「飛鳥」という地名も古代朝鮮語の「アンスク」(安住の地)からきているらしい。では、なぜ百済が積極的に飛鳥寺の建立にかかわったのか?当時、新羅・隋の圧迫に苦しんでいた百済が、いざという時に日本の協力を期待するためというのが定説だ。
懐かしい先輩たちと古都の文化を満喫した後、現在、京都に住んでいるソウル時代の同僚のOさんが体調不良で入院中と聞いていたので見舞いに行った。Oさんは「仕事には厳しく、人には優しく」がモットーで、社員の人気は抜群だった。当時、駐在員の自動車運転は自粛となっていたが、管理担当の本人はストレス解消と言って、時々真夜中に漢江沿いの高速道路を友達のスポーツカーでぶっ飛ばしていた。でも憎めない人柄で誰も文句は言わない。
病室に入って直ぐに彼の病状が普通でないことを悟った。「オーッ、来てくれたか」満面に笑みをたたえて迎えてくれたが、元々細身の彼がさらに痩せて生気がない。激しい痛みを抑えるための強力な鎮痛剤のため頭が朦朧としているらしいが、それでもソウル時代の昔話になると身を乗り出してきた。「もう一度、ソウルに行きたいなあ」窓から遠くを眺めて呟いた。「行けるとも」精一杯励まして退出するとき、私の手を強く握りしめたOさんの目に涙が溢れていた。「一緒にソウルに行こう」。私も涙を堪えながら握り返した。
おおにし・けんいち 福井県生まれ。83―87年日商岩井釜山出張所長、94年韓国日商岩井代表理事、2000年7月新・韓国日商岩井理事。09年10月韓国TASETO専務理事。11年9月よりマッカン・ジャパン代表。