この夏広島大学へ集中講義に行った時、権(安本)養伯氏の招待の午餐会で共通の友人である李恢成氏に電話をして、『地上生活者』「第四部」出版を祝って出版記念会を提案したが、まだ、書き終わってないということだった。その寄贈本を数カ月間読み続けている。「第一部」から「第三部」まで、それぞれ700㌻前後の単行本となった大河小説だ。作家自身が1935年樺太・真岡生まれであり、「ぼく愚哲」という書き出しからして自伝的小説である。
彼には広島と下関に二度、講演会に来ていただいた。下関のわが家に泊まって夜景をみたことや唐戸市場で朝食をとったことが忘れられないという。李氏は若干年上ではあるが、時代と社会の背景を共有するところが多い。この時代の南北関係や民団・総連関係の事件や人物が多く登場する。主人公趙愚哲と作家とのオーバラップの部分も多くありそうであり、また多くの重要人物を実名で記しているほか、半ば匿名になっているが、私が知っている人も多い。彼はサハリンの真岡出身で、私はサハリン調査のためにそこを何度も訪ねたことがあり、すでに小説や『サハリンの旅』などを読んでおり長編小説とはいっても毎日普段の日記を読む感じで読んだ。この『地上生活者』全編を通して私は彼と長く付き合っている感がある。
私は彼の友人宋東奎が、愚哲がG賞をとったことに「日本語が豊かなのでおどろいた」という言葉が気になる。それは同じ在日でありながら文学賞をとるほどすばらしい表現力への感想であろう。私は日本に20年以上住み、「成人」になったはずなのに日常的に日本語の不足を感じているから小説の多様な表現、そこに含まれる深い意味を吟味するのが楽しい。私は朝鮮総連とサハリンの関係者などに彼を称賛したり紹介したりしたがその反応は鈍かったことを覚えている。彼の経歴からサハリンからの脱出、朝鮮総連からの離脱が背景にあると気がついたのはかなり後のことである。
この小説では「ぼく愚哲」が同僚社員に「在日」であることを明かす。それらは「ぼく愚哲」にとって、劇的な転換でありながら平坦に語られる。
多くの登場人物が登場するがヒーロー(hero)の「英雄」はなく、主人公といえば「ぼく愚哲」であろう。神話や伝説の主人公のような「英雄伝」式の英雄ではない、地上に普通に生活する普通の人間たちの話である。
趙愚哲が樺太から日本に渡る話は以前からも読んで知っているが、それも「わが家はサハリンから脱出するさいにまじめくさって三流どこの悲劇を演じてみせた、どさ回りの役者の一家にすぎなかった」と自嘲的に話す。総連からの離脱も平坦にそして赤裸々に語っている。紆余曲折を経た作家の話ではあるが、とても平凡な話として続けて読まなければならない魅力を持っているのである。
チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。