筆者は三十年近いソウル一人暮らしで比較的、健康にすごしてきたが、最も大きな病気といえば、一九八三年の年初に発病した急性肝炎だろうか。日本の首相として史上初めての中曽根訪韓が終わった直後で、約四週間、自宅で療養となった。原因は「首相初訪韓で仕事が大変だったから」などではなく、年末の飲み疲れ、遊び疲れだった。当時は軍人政権の全斗煥政権下で、年末の忘年会では連日、連夜、爆弾酒だった。まだ若かったし、韓国暮らしに気合が入っていたので暴飲、暴食、暴遊も平気だった。
お陰で、急性肝炎を機に、韓国暮らしにおけるライフスタイルを手直しした。朝は必ず何か食べて出勤する、昼食をしっかり食べる、午前零時以降は酒を飲まない―という三原則を立て、今もそれを守っている。
今年も年末が近い。最近、朗報を耳にした。韓国の新聞にさる大衆文化評論家が「まだ爆弾酒を召しあがっていらっしゃいますか?」と題して書いていたのだが「このところ酒席で爆弾酒が減っている」というのだ。
その解説によると、爆弾酒は酒席で一同が連帯感を確認し合う集団主義の産物なのだが、最近、個人主義が広がりつつあり、さらに爆弾酒で疲労困憊しては翌日の仕事に影響するため、逆に“仕事優先”の意識から控えるようになったのではないか、という。なるほど。そうでなくても今年、古希をむかえた筆者など爆弾酒はもう遠慮したい。
ところで近年、爆弾酒といってビールに焼酎を混ぜたのをよく飲まされるが、筆者のような正統派(?)にいわせれば、これは邪道である。こんな飲み方は、焼酎(ソジュ)とビール(メクチュ=麦酒)を混ぜるので「ソメク」といって昔からあり、爆弾酒とはいわなかった。爆弾酒はやはりウイスキーを使わなくちゃ。焼酎で爆弾酒の大衆化というのはどこか品がない。これなら衰退も結構なことである。爆弾酒の代わりに近年、筆者が酒席で楽しんでいるのが“トーネイド(竜巻)焼酎”だ。
焼酎ビンの下部をしっかり握り、スナップをきかして左右に激しく数回、振る。すると、あら不思議 。ビンの中で焼酎が泡立つ“竜巻”となって見事に巻き上がる。これを確認してからおもむろに「さあ、どうぞ」と杯に注げば、焼酎の味もひとしおというわけだ。
前述の「ソメク」で思い出した。昔、アルコール25度の「真露」全盛時代の風景だが、焼酎を飲む時には必ずといって「メクソロン」というコバルト色の液体を混ぜていた。体にいいからという。聞くとフランス原産の胃腸薬だった。
コバルト色の焼酎はカクテル風で美しかった。そして「韓国人は胃薬と一緒に酒を飲んでいる!」とその豪快さに感動した。いつのまにか「メクソロン」は消え、そのうち爆弾酒も消えるのだろうか。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。