一九七〇年代の中ごろだったか、韓国の大衆歌謡が日本で関心を持たれ始めたころ、日本では「演歌の源流」などといわれ、一部でもてはやされた。その日本での最初のヒット曲が李成愛(イ・ソンエ)の『カスマプゲ』で、次のヒットが趙容弼(チョ・ヨンピル)の『釜山港へ帰れ』だった。
後者は八〇年代に爆発的に人気を得た。彼は日本での「ヨン(容)様第一号」だった。これらは最近のKポップなどと違って、いずれもいわゆる演歌調で、曲とともに歌詞でじっくり聞かせた。
韓国を「演歌の源流」などといって持ち上げた(?)のは、韓国歌謡を広げようという出版社やファンたちのPR作戦だった。それには日本の作曲界の大御所だった古賀政男まで一役買わされた。彼は戦前、韓国の善隣商業を出ていることから、それが“古賀節”と称される彼の名曲演歌の背景にある、などといわれたものだ。
韓国演歌は実際は戦前、日本の演歌の影響で生まれたのだが、韓国人の歌唱力によって韓国的にいっそう発展した。今や日本演歌より元気がいいかもしれない。筆者お気に入りの、KBSテレビ月曜日の長寿番組『歌謡舞台』を見ればそれが分かる。
韓国で“演歌の女王”といえば李美子(イ・ミジャ)だ。昔から「韓国の美空ひばり」といわれ、まだ健在だが、日本ではそんなに人気は広がらなかった。ただ李美子とひばりには違いがあって、ひばりはジャズからマンボ、チャチャチャ、その他、あらゆるジャンルの曲をこなしたのに対し、李美子はひたすらスローテンポの演歌ばかり歌い続けてきた。これはこれですごいし、感動的である。その李美子が年末のテレビに久しぶりに登場し、独演会をやった。MBCテレビ六十周年記念番組で、司会者は「MBCと共に歩んだ李美子」と言っていたから、もうデビューして六十年以上というわけだ。
しかし衰えはまったくない。物言いも歌と同じくいつもスローテンポでほほ笑ましい。気張らず気取らないところが実にいい。以前、インタビューしたことがあるが、街のおばさんという感じで、昼食におかゆをおごってもらった。
韓国演歌について韓国では「ポンチャッ」とか「トロット」といっている。前者は演歌の曲が「ポンチャッ、ポンチャッ、ポンチャッ 」という感じからきた言葉だが、李美子は今回のテレビ番組で自らの演歌のことを「伝統歌謡」といっていた。韓国源流ではなくても、すでに百年以上の“伝統”を持つ韓国演歌だからそれでいいと思う。
李美子のヒット曲の中で筆者のお気に入りは「海棠の花が、咲いては散る島の村に 」で始まる『島の村の先生』。Kポップの女の子たちの視覚的エロティシズムより、こんなのんびりした韓国情緒が今なおボクは好きなんです。歳なんですねぇ。
くろだ・かつひろ 1941年大阪生まれ。京都大学経済学部卒。共同通信記者を経て、現在、産経新聞ソウル支局長。