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2012/01/20

<随筆>◇ 「福」 ◇ 広島大学 崔 吉城 名誉教授

 新年早々幸福の木に白い花が満開で、香りが室内を満たしている。十年以上、部屋の日あたりの良い所に置いているが、幹が虫に食われてほぼ古木化していたが毎年花を見せてくれる。寒い冬に南国の香りを放つこの花に感謝である。甘くてすごくいい香であるとしか表現できない。小さい花びらが開いてしぼんで終わっていくには2週間以上かかるので木の名前通りに「幸福の花」である。

 音楽は楽譜で残すことができるが、日常生活では香を計ることも残すこともできない。日本語では「匂い」、「香」など、英語でも区別しての言葉の使い方はあるが、それだけではこの幸福の木の香りは表現できない。幸福を計るものがないように、ただ幸福の木の香りを満喫するだけである。

 旧暦の正月に中国や韓国で一番多く交わされる言葉が福である。福とは何であろうか。幸せになることであるが、幸せとは何だろうか。具体的に五つの福、「五福」とも言われている。私が生まれ育った家には「応天之三光、備人間之五福」と書かれていて私は仰向くたびに、目に入るので覚えており、いまだに忘れない。辞典には五福とは五種の幸福つまり長寿、富、無病、徳、天寿と書かれているが、民間では歯が丈夫なのが五福の一つであるともいわれる。襖、枕、食器などに福の文字がデザインとして書かれているのをよく見る。そして新年の挨拶が「新年には福がいっぱいであるように」「セーヘーボクマニバドセヨ」と「徳談」という祝いの言葉を交わす。

 正月と小正月の民俗は五福にかかわるものが圧倒的に多い。井戸から龍の玉子を汲むために朝早く水汲みをする。5福から3福にすると寿、富、貴である。つまり長生き、財産、立身出世である。3福を1福にするなら「富」であろう。

 つまり経済的な幸福観は中国人や韓国人のもっとも著しいものである。今韓国や中国の発展には国民のこのような強い希望が横たわっているといえる。美しい服装をみていかに高価なものかで評する。そのような人は幸福の木の香りは意味がないだろう。以前の暮らしから考えるとテレビ、冷蔵庫、洗濯機で満たされるはずであるが、福を昔と比較したら今、私が食べているのは王族以上に贅沢かもしれない。

 幸福観は相対的なものであり、よりよいものへと続くものであろう。李承晩大統領時代に副大統領の李起鵬氏の自宅で季節のものではない果物のスイカが出て、特権階級の贅沢を非難したが、今はそのくらいの幸せは庶民でも可能になった。幸せは昔と比較するものではなく、また他人と比較するものでもない。

 幸福観は韓国だけではなく世界的に普遍的であるが、韓国のキリスト教は民間信仰の福信仰を受けいれた「祈福信仰」と非難されている。キリスト教では神が人を祝福するgod blessという幸福観に基づくべきであるからである。


  チェ・ギルソン 1940年韓国・京畿道楊州生まれ。ソウル大学校卒、筑波大学文学博士(社会人類学)。陸軍士官学校教官、広島大学教授を経て現在は東亜大学・東アジア文化研究所所長、広島大学名誉教授。