ある日、戸棚を開けて考えた。災害時のためにとストックしてある乾パンや缶詰類 、これらの食品にも賞味期限がある。置きっぱなしというのでなく、消費する、買い替える、というサイクルを作らなければ。そうだ、3月11日にこれらを食べることにするというのはどうだろう。大震災や津波、原発事故のことを思い返しながら、これらを食べることにしよう。節電の意識も今一度新たにするために、部屋の照明も落として、暗い中で食べればよいのではないか。
私には、昨年社会人となり一人暮らしを始めた娘がいるのだが、電話でこの話をすると、彼女はこう言う。―私はこの日は家族の絆を大切にする日にしたい、だから前から部屋におばあちゃんを招待するって口約束だけしていたけれど、この日こそ本当に遊びに来てもらって、何か料理をしてあげることにしたの、と。なるほど、それもいいと思える。それぞれのやり方で、この日を意識的に過ごすことを大切にしたい。―でも実は、何か申し訳ない思いがつきまとう。
新聞でもテレビでも、3・11のその日を迎えるにあたって、多くの特別記事や番組が用意され、さまざまな検証が行われている。被災地の一年をふりかえり、被災者の現在の様子を伝えてくれてもいる。被災地の人々はその日をどのように迎えるのだろう。特に愛する人を失った人たちにとっては、その日を迎えることの重さはいかばかりだろう。それを思うと、正直いたたまれない気持ちになる。災害時の備えをするとか、家族を大切にするだとか、身勝手な軽い言葉のように思えて、口をつぐんでしまうのだ。
私事だが、この一月実家の父が急逝し、私たち家族は今もその悲しみの中にいる。埋めることのできない喪失感と痛みの中で、このつらさを誰かにわかってもらうことなどできるだろうか、と思ってしまう。すでに高齢だった父にして、である。それを考えると、被災者の気持ちを知るとか、被災地の悩みを共有するとか、離れた地で私たちが言っても、それは嘘になってしまうのでは、と恐れるのだ。だけどもう一度考える。そんなことを言って、後ずさりをするのはもっとよくないだろう。あきらめてしまってはいけない。しょせん私たちには分からない、でもだからこそ理解する努力をしよう。私たちにできることは小さい、それならせめて少しでも多くのことをできるように努力しよう。
震災の記憶は決して風化させてはいけない、と言いながら、実際にすでに風化が始まっているとの報道もあった。関連のニュースから目を背けることなく、しっかり見て、聞いて、自分にもできることを考えよう。考えるだけではダメだ、とつぶやきながら、だからといって考えることをやめるのではなく、この後ろめたい気持ちをこれからも引きずっていこう。そんな中から行動が生まれるのだと思っている。
カン・ヨンジャ 1956年大阪生まれ。在日2.5世。高校非常勤講師。著書に『私には浅田先生がいた』(三一書房、在日女性文芸協会主催第1回「賞・地に舟をこげ」受賞作)。