いまもあの日の舎廊房(サランバン)での光景を懐かしく思い出す。春霞に包まれた韓国の野山が、うす紅色に染まる頃、私たち母娘は父と一緒に旅をした。娘が大学に合格した記念に父が韓国旅行をプレゼントしてくれたのである。仏国寺、通度寺、華厳寺、松広寺などの名刹を父の解説付きで巡り、南原では『春香伝』で有名な広寒楼で春香が李夢龍に見初められたというブランコに乗り、月梅家でビンデトッ(緑豆粉で焼いたお焼)を肴にトンドン酒で喉を潤した。扶余では落花岩での宮女たちの悲しい物語を聞き、白馬江でのんびりと船遊びを楽しむという欲張ったスケジュールで、父の気遣いは並大抵のものではなかった。
殊に想い出されるのは、私たちの初めての故郷訪問を記念して、親戚や友人たちを招いて開かれた舎廊房(サランバン)でのパンソリの宴。うっすらと化粧を施した老技が扇子を開いたり閉じたりしながら唱(うた)い、合間に身振り手振りを混じえながら、アニリ(語り)で物語をつないでいく。ときには場の雰囲気をみながら、ストーリーにないアドリブを即興で入れ、観客を喜ばせたり驚かせたり。生かすも殺すも鼓手次第というけれど「オルシグ」「チョッチ」と絶妙なタイミングで入れる鼓手の合いの手が、唱い手の気分を盛り立て、場を沸かせる。老技の声がかすれて苦しそうになると、居合わせた客たちが「オルシグ」「チョルシグ」とエールを送り、唱い手と聴き手が一体となって場を盛り上げていく。いまから三十数年前、父の故郷での忘れ難き想い出の一こまである。
故郷での素朴で感動的な場面に出会って以来、私はパンソリに強く魅せられ、日本公演はのがさず聴きにいったものだ。人間国宝故金素姫女史の公演をはじめ、民族オペラといわれるパンソリ唱劇・安淑善女史主演の『春香伝』や『沈清伝』も観ている。特に1990年外務省と文化庁の後援による『沈清伝』の公演は私をすっかりとりこにした。そのとき沈奉事(シム・ボンサ)役を演唱したのは趙相賢氏。氏は韓国重要無形文化財第五号保持者で、韓国パンソリ保存研究会の理事長でもあり、特に沈奉事は氏の当たり役である。その後、パンソリ保存研究会関東支部が東京で発足し、金福実国楽研究所代表の女史が支部長に任命される。任命式には韓国から趙相賢氏や在日の芸術家たちも祝いに駆けつけ、やっとパンソリ普及の拠点ができた。早いもので今年創立15周年目を迎える。私も理事のひとりとして末席に名を連ねている。
昨年のことだが、韓国文化院のハンマダンホールで「魂を揺さぶる”声”―琵琶・新内・パンソリ―」が開催され、金福実女史が「沈清歌」の演目の中から一節を演唱した。唱い始めると、客席から「オルシグ」「チョルシグ」と合いの手が入り、大いに盛り上がった。やっと日本でもパンソリを聴く醍醐味が分ってきたようだ。オルシグチョッタ!
オ・ムンジャ 在日2世。同人誌「鳳仙花」創刊(1991年~2005年まで代表)。現在在日女性文学誌「地に舟をこげ」編集委員。著書に「パンソリに思い秘めるとき」(学生社)など。